前回からの続き(10月9日のこと)です
目的のお寺へ行く手前にこちらの神社もあるので以前寄っていますが再び寄りました
大酒神社

住所・京都市右京区太秦蜂岡町30
旧社格 村社、式内社(元名 大辟神社)
御祭神 秦始皇帝・弓月王・秦酒公
別殿 兄媛命、弟媛命(呉服女、漢織女)
駐車場なし
こちらは以前の記事→大酒神社
由緒

由緒書
宗教法人 大酒神社
祭神 秦始皇帝、弓月王、秦酒公
相殿 兄媛命、弟媛命(呉服女、漢織女)
神階 正一位、治歴4年4月(1068年)
当社は、延喜式神名帳葛野(かどの)郡二十座の中に大酒神社【元名】大辟(おおさけ)神社とあり、大酒明神ともいう。
「大辟」称するは秦始皇帝の神霊を仲哀天皇(356年)皇帝14世の孫、功満(こうまん)王が漢土の兵乱を避け、日本朝の淳朴なる国風を尊信し始めて来朝し此地に勧請す。
これが故に「災難除け」「悪疫退散」の信仰が生まれた。
后の代に至り、功満王の弓月王、応神天皇14(372)年百済より127県の民衆(ともがら)1万8670余人統率して帰化し、金銀玉帛等の宝物を献上す。又、弓月王の孫酒公は、秦氏諸族を率いて蚕を養い、呉服漢織に依って絹綾錦の類を夥(おびただ)しく織出し朝廷に奉る。絹布宮中に満積して山の如く丘の如し。天皇御悦の余り、埋益(うずまさる)と言う意味で酒公に禹豆麻佐(うずまさ)の姓を賜う。数多の絹綾を織出したる呉服漢織の神霊を祀りし社が大酒神社の側(かたわら)にありしが明歴年中破壊に及びしを以て、当社に合祭す。
機織(はたおり)のみでなく、大陸及半島の先進文明を我が国に輸入するに努め、農耕、造酒、土木、管絃、工匠等産業発達に大いに功績ありし故に、其二神霊を伴せ祀り三柱となれり。
今大酒の字を用いるは酒公を祀るによって此の字に改む。
広隆寺建立后、寺内、桂宮院(国宝)境内に鎮守の社として祀られていたが、明治初年政令に依り神社仏閣が分離され、現在地に移し祀られる。現在広隆寺で10月10日に行われる、京都三大奇祭の1つである牛祭りは、以前広隆寺の伽藍神であった時の当社の祭礼である。
尚、603年広隆寺建立者 秦河勝(かわかつ)は酒公の六代目の孫。
又、大宝元(701)年子孫秦忌寸都理(いみきとり)が松尾大社を建立。和同4(713)年秦伊呂具(いろぐ)が伏見稲荷大社を建立した。古代の葛野一帯を根拠とし、畿内のみならず全国に文明文化の発達に貢献した。秦氏族の租神である。
昭和59年5月
(原文のまま)
記念碑と手水舎

次回でこの日のことはお仕舞いです
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ

