前回からの続き(2月11日のこと)になります
小川月神社を後にして、府道405号線に戻り、途中府道25号線に乗り換えて、亀岡市内へ入ります
高架を降りたとこに信号があり、横切っている道は「クニッテルフェルト通り」というハイカラな名前の通りになります
そこを左折(クニッテルフェルト通りを走り)して3つ目の信号になると思いますが、その信号を少し行って、左へ行くと右手に神社があります
三宅神社(みやけじんじゃ)
住所・京都府亀岡市三宅町121
旧社格  村社  式内社
御祭神  倉稲魂命  稚産霊命  豊保食命
駐車場なし

解説板
 三宅神社
 当社の創祀は不明ですが、古代大和朝廷の直轄地として経済的基盤となった屯倉(みやけ)に由来する神社で、平安時代の書物「延喜式神名帳」にも丹波国桑田郡十九社の内の三番社として記載された古社です。叢稲荷(くさむらいなり)、草分稲荷、三宅稲荷とも呼ばれ、往古は一町四方の広大な社地を有していましたが、天正の兵乱や寛文3(1663)年等度重なる火災により徐々に社域も小さくなっていきました。かつての社域の一部は、稲荷垣内との地名も残されています。
  社は延宝元(1673)年に建てられ、その後元禄11(1698)年に上屋が再建されました。また旧領主代々の祈願所でもありました。
  祭神には穀物の神である倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、稚産霊命(をくむすびのみこと)、豊保食命(とようけもちのみこと)の三柱が祀られています。
地図の部分のアップ
ひとくちコラム
 お稲荷さんのお使いは狐とよく言われますが、お稲荷さんの祭神である宇迦之御魂神(倉稲魂命)の神名の宇迦は、食と同義語で、食物の中心的な位置を占める稲に宿る神秘的な精霊として、五穀を中心とする食物を掌る神とした広く崇敬され、御食津神とも呼ばれました。この音から「三狐神(みけつかみ)」とも書かれ、また春に山から下りてきた田の神が、秋の収穫後山へ帰り山の神となるという古代信仰と農事の始まる初午のころから収穫の終わる秋まで人里に姿をみせる神秘性を漂わせる狐の習性が、稲や五穀等の農作物の豊作に通じることから、神使として祀られるようになったといわれています。
(原文のまま)
調べていると、こちらは丹波道主命が桑田郡に祀った三座のうちの1つということです
他は以前行ったことがある右京区の山国神社 

もう1つは次にアップする與能神社でした

もう1つ解説
 郡家と三宅
 屯倉(みやけ)というのは大化改新以前に存在した天皇の直轄地をさしており「日本書紀」安閑天皇2(535)年の条をみると、丹波国に蘇斯岐(そしき)の屯倉がおかれたことが記される
この(みやけ)がどこに置かれたについては諸説がある。
郡家(ぐんけ)を古くは「こおりのみやけ」と読み郡衛ともいった。郡家は今日の役所と考えられ、その役所には郡庁、官舎、厨家、厩のほか十数宇の正倉が建ち郡の政治、経済の中心となった。三宅郡家説を主張する理由としては、旧山陰道の要地を占め、郡家面積としても河岸段上、方二町の平坦面がらくらくとその中におさまり、式内社三宅神社(俗に三宅稲荷)は屯倉の存在を物語るものとして古くから注目さるてきた。
 最近郡家の発掘報告が次々となされ、次第にそのアウトラインが浮かび上がってきたので、ここ三宅の地にもやがて科学的な調査の日の近づくことも時間の問題といえよう。
(原文のまま)

社号標鳥居

鳥居をくぐって左手に手水舎
蓋がしてありますが🤣

正面に本殿

狛犬


左側に拝殿?

こちらも小さな神社でした😊

本殿の右手にある境内社
出前は稲荷社

奥にあるのは豊受大神
社務社も無かったので、御朱印も微妙です😅

周辺の散策が続きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ