前回からの続きです
(令和2年11月8日のことです)
御堂筋からお初天神通り商店街へ入ると、すぐに社号標がありました
露天神社(つゆのてんじんしゃ)-北門-

住所・大阪府大阪市北区曾根崎2丁目5-4
御祭神 少彦名大神(すくなひこなのおおかみ)
大己貴大神(おおなむちのおおかみ)
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)
菅原道真公(すがわらみちざねこう)
御神徳 諸業繁栄 学業成就 結縁成就 病気平癒その他
HP 露天神社
通称 お初天神
こちらの方の名前が通ってると思います😁
露天神社 由緒略記

社伝によれば、創建は壱千百有余年を遡り、文徳天皇の御代、嘉祥3(850)年に定め給いし「難波八十島祭」の旧蹟にも数えられ、「住吉往地曽祢神」を祀ると伝えられる。
往地此の地は曽根洲と称する孤島にて、曽根洲、後の曽根崎の地名はこの御神名より起こる。
平安期、渡辺十郎源契来たりて入植せしより、渡辺氏一族を始め移植の民次第に増し、曽根崎村へと発展し、当社も産土神「曽根崎天神」として尊崇された。現在も梅田、曽根崎地区の鎮守として信仰を集めている。
昌泰4(901)年菅原道真公筑紫に左遷配流の途次、当地を過ぎ給う砌(みぎり)、境内の草木露深ければ
露と散る 涙に袖は朽ちにけり 都のことを 想い出づれば
と詠ぜられ、菅公大宰府にて御他界の後、その遺徳を偲び奉り合祀し、右の御歌より「露ノ天神社」と称する。(社名の由来その他諸説有り)
元禄16(1703)年4月7日堂島新地天満屋抱えの「お初」と、内本町醤油屋平野屋の手代「徳兵衛」、当社「天神の森」にて情死し、日を置かず時戯曲作家「近松門左衛門」により「曽根崎心中」として劇化された。
以後上演の度、男女身分の差無く多数の民衆観劇し、挙って当社に参詣慰霊に訪れたと云う。
「お初天神」と通称される所以である。
(原文のまま)
曽根崎お初天神通り

商店街の通路に神社の塀が面しているという😲
北門から入った参道

通路沿いにはいろんなものが安置されています


干支の置物?

石灯籠のとこにはニャンコ

お初天神と言えば、曽根崎心中
その1人、徳兵衛

すごく現代風!
こちらはヒロインのお初

参道の脇に玉津稲荷(開運稲荷社)

御神徳 商売繁盛 五穀豊穣 皮膚病治癒
明治42(1909)年の大火災の後、近在の稲荷社四社を合祀し当地に遷座し奉る
(境内案内図より)
合祀記念碑

玉津稲荷の本殿

いろんなとこで恋人の聖地のプレートを見ますが、ここなんかはまさに!って感じです

かつてお初と徳兵衛の二人が永遠の愛を誓ったこの地お初天神が、二〇一三年に恋人の聖地に選定されました。
恋人の聖地は、官公庁後援のもと、NPO法人地域活性化支援センターが、地域を代表する公共性を有する観光施設などを中心に、プロポーズにふさわしいロマンティックなスポットを選定しているものです。
全国で123ヶ所(二〇一三年現在)、そのうち大阪市内では当初、お初天神のほか、同北区「梅田スカイビル/空中庭園展望台」が選定されています。
(原文のまま)
Σ( ゚Д゚)123カショ!
道理で近年いろんなとこで見るわけです😅
絵馬もハート型!

手水?

入ってからも手水?

曽根崎心中 お初徳兵衛ゆかりの地の石碑

そこには銅像のお初と徳兵衛がマスクをしていました(笑)

神牛舎

駒札

「神牛さん」「撫で牛さん」と呼ばれ己が身体の病む処と、神牛さんとを交互に撫で摩り、身代わりになっていただく、又は、神牛さんの霊力をもって病を治療して戴く、という信仰が古来より続いている。
昨今は、より頭脳明晰にならんとし、勉学に励み、又、受験を控える学生も多数参詣される。
菅原道真公(天神さん)と神牛さん
菅原道真公の御生誕が、丑の年にあたる承和12(845)年6月25日の丑の刻にして、薨去(こうきょ)の後、太宰府にて初めて祭祀を営まれたのも、延喜5(905)年8月19日という丑の年、丑の日でありました。
又、御存命中よりこよなく牛を愛で給い、或る夜、奇夢をごらんになられてより、一層牛を大切になされ、自ら牛の姿を画かれて、これを日常親しく祀られたと伝えられる。
(原文のまま、一部年号補足)
その隣にもう一つの駒札・曽根崎心中 ゆかりの碑

此世のなごり。夜もなごり。死に行く身をたとふれば
あだしが原の道の霜。一足づつに消えて行く。
夢の夢こそあはれなれ。
あれ数ふれば暁の。七つの時が六つ鳴りて残るひとつが今生の。
鐘のひびきの聞きをさめ。
寂滅為楽とひびくなり。
中略
誰が告ぐるとは曾根崎の森の下風音に聞え。
取伝へ貴賤群集の回向の種。
未来成仏疑ひなき恋の。手本となりにけり。
近松門左衛門作「曾根崎心中」より
元禄16(1703)年4月7日、堂島新地天満屋抱えの「お初」と、内本町平野屋手代「徳兵衛」が、当社天神の森にて情死し、近松門左衛門により「曾根崎心中」として劇化され、歴史に残る大成功をおさめた。
以後当社が「お初天神」と通称されるに至る所以てある。
近松の名文により、広く民衆の涙を誘うこの作品は、その後も幾度となく繰返し上演され、今日でも人々の回向が絶えず、恋の成就を願う若人が数多く参拝される。
此の碑は、「曾根崎心中 お初 徳兵衛 ゆかりの地」として、恋に殉じた二人を哀れみ、有志により建立されしもの也。
(原文のまま、一部年号補足)
今までのとこの全景(右奥が北門)

西門入った辺りからの本社(本殿)

次回は本社辺りのことになります
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ
