前回からの続きです
(令和元年11月30日のことです)
原林神社から県道106号線へ戻り、南下します
しばらく走り、左へ曲がる(県道604号線より手前)と道沿いの左手に鳥居が見えます
信田(しのだ)の森

住所・大阪府豊能郡能勢町下田尻
駐車場なし
道沿いには、このような微妙な標識があります

これが車からだと分からない
鳥居のとこにある解説板はしっかりしたものですΣd(・∀・´)

信田の森
最寄りでは、「信田の森」・「保名(やすな)はん」・安倍保名としたしまれて、南面する山腹の森の中に、稲荷社と保名卿の供養塔(宝篋印塔)が静かにたたずんでいる。塔の前面左右に九百年・一千年祭の供養塔があり、その裏面には保名にとってこの地が終焉であったことが記されている。
人々の伝えでは、保名は源満仲の家来藤原仲光を介して、負傷を癒すため、愛妾葛の葉と共に、ここ霊泉の湧出する塩谷に湯治する事になった。保名は湯治にあたり、鉱泉の塩分をぬきとったという「塩ぬき田」を今に伝えている。
ときに応和2壬戌(みずのいぬ・962)年3月23日、72才で不歸(ふき)の人となり、塚を築いて葬ったという。
今もその霊泉は府道下にあり、地域の人々によって大切に保存されているが、応じには薬湯として近隣に広く知れわたったといわれている。
同じ社庭中央に稲荷社が勧請されているが、碑文によれば藤原仲光が泉州信田明神をここに移し建立したとある。また古書には天正2(1574)年能勢頼道が稲荷大明神を祀ったとも見えるが、栄枯盛衰は世の常で頼道による祈願再興の意味でなかったろうか。
(原文のまま)
ちなみに晴明の母・葛葉の正体は狐とされる話があります
その母と父が出会ったというのが、大阪府和泉市にある信太森葛葉稲荷神社のとことか⁉
なので、晴明は明神の子という伝説もあるそうです
階段を上がって行きます

上がると、ちょっとした広場に

そこには稲荷社があります

左手に宝篋印塔

宝篋印塔 室町時代初期(解説板より)
総高130.4cm
本塔の基礎部には、正面と左右の側面に格挟間(こうざま)を刻み、その内に開花蓮(かいかれん)を配している。
すなわち近江式装飾文といわれ、これが三面に刻まれているのは本町内でこの塔だけである。
塔身部の東面には弥陀坐像を配し、他の三面には線刻蓮華座上(せんこくれんげざじょう)の月輪(がちりん)内に、金剛界四仏の種子を刻んでいる特殊な塔てある。
きわめてていねいな手法に加えて、各部の損傷は一切なく、石塔の永劫不壊(えいこうふかい)を目でみるようであり、さらには地域の保名にかかる厚い信仰心が支えてきたといえよう。
(原文のまま)
これが全体な感じ

安倍氏の伝承が無ければ、よくある村の小さな神社と同じなので寄ってなかったと思います
それに駐車場も無いから、道路のちょっと広そうなとこに止めて急いで見に行ったくらいです😅
そんな伝承もあるとこがあるということで😊
能勢散策は続きます
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ