前回からの続きです
(令和元年9月28日のことになります)
木屋町を南下して行くと、左手に山門があります
瑞泉寺(ずいせんじ)

住所・京都市中京区 木屋町通三条下る石屋町114−1
HP→瑞泉寺 駐車場・なし
なので今回は山門・石碑を撮ったのみですf(^^;
境内のことなどは前回訪れたときを参考にして頂くと幸いです(..)
こちらで有名なのは山門のとこにもある豊臣秀次公之墓があるんです

山門

豊臣秀次公一族終焉之地・旧三条河原跡

こちらには秀次だけでなく、その一族も供養されています
駒札

駒札にもあるように、豊臣秀次は秀吉の甥(秀吉の実姉の子)で、秀吉に子供が出来なかったときに養子となりました
その後、不幸?なことに秀頼が生まれ、最終的に文録4(1595)年7月、高野山で自害させられました
高野山で蟄居させられたのは、夜な夜な辻切りをしたからとか⁉
なので、摂政関白にかけて「殺生関白」と噂されたそうです😓
この話は秀次の自害だけで収まりませんでした
同年8月、秀次の妻妾や幼児ら39人が三条大橋西畔の河原で処刑😣
遺骸は、その場に埋葬され、塚が築かれ石塔が建てられました
その後、鴨川の氾濫などにより次第に荒廃
慶長16(1611)年、角倉了以が高瀬川の開削中に墓石を発掘😲
墓域を再建するとともに、その地に堂宇を建立
これが瑞泉寺の起こりだそうです
開基 桂叔(けいしゅく)
寺号は、秀次の法号、瑞泉寺殿から名付けられる
橋本左内訪問之地・岩瀬忠震宿所跡

ここ瑞泉寺は、旗本の岩瀬忠震(ただなり)が安政5(1858)年に上京したときの宿所
嘉永6(1853)年にペリー来航
この頃、海防掛に任じられる
安政4(1857)年12月に、アメリカ駐日総領事ハリスと交渉の結果、通商条約の草案が確定
調印に先立ち、朝廷の許可(勅許)を得るために上京したものでした
この時に、越前藩の橋本左内と会談
この数ヶ月後、勅許を得ないまま、日米修好通商条約を結びます
ここから幕末の騒乱が始まっていくと言っても過言ではありません
まだまだ南下して行きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ

