前回からの続きです
(令和元年9月28日のことです)
前回の場所から姉小路通りへ向かうと、橋(姉小路橋)を渡ったとこの右手すぐに石碑と解説板があります
桂小五郎寓居跡・徳川時代対馬宗氏屋敷跡

住所・中京区姉小路通木屋町西入る
こちらも石碑に2つの事柄が書かれているパターンです

解説板


解説には結構細やかに時代の流れが書いてあります
とりあえずかいつまんで挙げておきます
寛永19(1642)年ごろは、のちに京都代官となる角倉了以の孫・平次(厳昭・かねあき)の屋敷地であった
その後、対馬国の大名・宗氏が邸宅を営む
元々宗氏の京屋敷は、堀川中立売下るにありましたが、貞享2(1685)年から同4年の間にこの地へ移転
幕末期、対馬宗氏は長州毛利氏の縁戚だったので、その政治活動の重要な協力者となる
その家臣・大島友之允(とものじょう・映画監督の故大島渚の曾祖父)は、桂小五郎と親しく、このためか桂は対馬屋敷を居所の一つとしました
元治元(1864)年6月5日の池田屋襲撃のおりには、桂は屋根をつたって脱出し、対馬屋敷に難を逃れたということです
再び木屋町通りへ戻り下って行くと四之船入址がありました

三条通りの交差点、手前の小さな通りの手前にあります
高瀬川はこんな雰囲気

更に下って行くと、再び佐久間象山・大村益次郎遭難之碑があります!


なんで?と思ったら、ここから北へ約1町(約110m)という案内のものでした

住所・中京区三条通木屋町北西角
そこから一旦、三条通りへ行きます
すると三条小橋を渡ったとこに解説板がありました

昭和初期の三条小橋

上部の写真(京都市資料)は昭和4(1929)年以前の三条小橋の情景です。江戸時代より、木屋町~河原町間の三条通は現在より道幅が狭く、現在の河原町以西の道幅と同じでした。
また、小橋右側(北側)の旅館「吉岡家」は、江戸時代から続く旅館です。「幕末浪士組」を結成し「新選組」の基礎を作りその後、新選組と袂を分け、江戸の警護をして有名な庄内藩士・清河八郎が安政2(1855)年に書いた紀行文「西遊草」のなかで、三条小橋かたわらの「吉岡や」に泊まったと記してあります。また左側のアールデコ風の出窓がある旅館も江戸時代から続く「大津屋」(現在は有名な建築家安藤忠雄によるタイムズビル)で、池田屋騒動の「池田屋」は、この当時までは、建物は残ってました。
(原文のまま・一部略)
高瀬川 生洲(いけす)

こちらは生州料理店のことが書かれています
次回は幕末で有名なとこです
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ
