前回からの続きです
弁天堂の横にある階段を上がっていきます
今回はほぼ墓地のことになるので、そういうのが好きでない方はお勧めしません(..)

一番最初にあるのは、右手にしあわせの鐘(鐘楼)と記念碑

割りと急な階段です(^^;

最初にあるのは二条家の墓地
そこに目的のお墓を探しながら無かったので通り抜けて、一段上の墓地へ

そこは四条家墓地
そこにあったのは伊藤東涯
東涯は次に紹介する仁斎の長男

と、伊藤仁斎のお墓
伊藤仁斎
1627~1705年
江戸前期の儒学者
塾(古義堂)を開いて、高位の医師や上層町衆の子弟、武士などを教える
(京都大事典参照)

更に一段上がって、離れた高場に三帝陵があります
土御門天皇、後嵯峨天皇、亀山天皇の御分骨が納められていると伝わっているそうです

一段下がる(四条家墓地の上)に探してた角倉了以のお墓がありました

左端の大きめのもの

並んでるお墓は角倉家関係者でした

その先(湛空廟方向)へ行くと吉田光由のお墓と記念碑
駒札
こちらは常寂光寺や前回にも書いた吉田光由のお墓(推定)となります

その先に階段があり、上は鷹司家の墓地
階段横は嵯峨家墓

その横には

三條西実隆、三條西公條、三條西実枝の墳墓
三條西実隆
1455~1537年
室町後期の公家・学者
後花園・後土御門・後柏原・後奈良天皇に仕える
日記「実隆公記」は文明6(1474)~天文5(1536)年の政治・社会・文化全般にわたる根本史料なんだそうです
Σ( ゚Д゚)スゴッ
本堂を再建した人でもあります

湛空廟


こちらは湛空上人の碑が納めてられています

この先には時雨亭跡となっていたので行ってみました

こんな狭い山道を少し歩きます

そこ先にはちょっと開けたとこが

時雨亭跡

ただ常寂光寺でも書いたように、推定場所の一つと言えるようです

そこからの眺め


境内はこんな風になっています
(由緒書きより)

こちらで頂いた御朱印です
圓光大師霊場の17番札所

特別御朱印とありましたが、圓光大師の御詠歌がありました
常はないのかな?σ(^_^;)?
そこんとこを確認し忘れてました( ̄∇ ̄*)ゞ
御詠歌は別の御朱印帳に書いてもらってるのに、こちらも貼られてました(^^;
どうも貼ってくれるとこが嵐山は多そうですキョロキョロ

由緒書き

こちらではご本尊の写真を購入(500円)

昼頃だったので入り口にあったお茶屋さんで何か食べることにしました
甘味処 小倉茶店 四季庵

頼んだのは小倉大納言ぜんざい(600円)
最初にお茶と八ツ橋が

で、ちょっと待って出てきたぜんざいがこちら
こぶ付き
ぜんざいは小豆がいっぱい入ってました爆笑

更に北上して行きます

では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ