今回も綾部市のことになります
前回の多田八幡神社からだと、府道74号線(舞鶴綾部福知山線)を北上して行きます
すぐに「高倉」の信号があり、それを越して少しすると左手に案内板があります
その脇道を入って行って、道なりに奥まで行くと神社があります
高倉神社

住所・京都府綾部市高倉町奥路45
旧社格 村社
御祭神 以仁王
こちらには以前訪れています→高倉神社
高倉神社由緒畧記

治承年間平清盛横暴を極め擅に朝廷を弄し畏くも後白河法皇を幽閉し奉りしを以て孝心深き第二皇子高倉宮以仁王は父君を幽閉より救い更に皇室の隆威を挽回せんと源三位頼政に令旨を下し賜ふ 頼政奉じて勤皇の兵をあげ治承の難に至る 逸道の激戦に官軍利あらず頼政は宇治の平等院で自刃 宮は南都へ御落廷の途中光明寺下で流矢に当り薨去と偽り実は近臣大槻光頼渡辺俊久等十二士と潜に頼政の領地丹波路に供奉し宮をして一時の危難を避け奉りしが、宮は不幸当地に御着馬の頃から御矢傷次第に重く治承4(1180)6月9日吉美郷里村で薨去し給ふ。翌養和元(1181)年9月9日神霊を奥谷の森今の高倉に(現在地)奉遷し高倉天一大明神と勧請せり 尓来御神徳は四方に輝き世直しの神、五穀豊穣、万病平癒、特に胃腸病の快癒に御霊験高く腹痛救護の神と世人の崇敬を聚め給ふ。
降って元文年間神殿挙て回録に罹り旧記神宝悉く鳥有に帰したが御神像のみ火中より収めて神殿に奉安した。
神殿の再建築は延享(1746)年に落成したが建設以来星霜を閲し再び廃頽に傾き明治40(1907)年再建を計画同43(1910)年8月竣工 旧神殿は拝殿に改造。新たに神殿竝に透塀を造営神域も拡張した。
更に昭和53(1978)年奉祀八百年を記念し宮の遺徳を追慕顕彰せん為拝殿の前に神礼授与所、大鳥居附近の参道石畳の新設、社務所の修復、新社務所の屋根の葺替、駐車場の新設等広く氏子
竝に十二士後裔その他信仰者有志の多額の寄進を得て昭和55(1980)年文字通り神社の面目一新近郷稀に見る神社として整備された。
高倉神社社務所
(原文のまま、一部年号補足)
高倉神社ヒソヤ踊解説

高倉神社のヒソヤ踊
天一さんとよばれる高倉神社は、養和元年(1181)高倉宮以仁王をまつった古社である。祭礼は吉美地区六町の総社として10月10日に行われ、高倉町の本社から里町の御旅所へ御輿の行列があり、ヒソヤ踊はこの祭礼に奉納される田楽である。この田楽は中世に始まるものと思われ、昭和51(1976)年綾部市指定文化財に指定されている。
平成6(1994)年3月
綾部市教育委員会
(原文のまま、一部年号補足)
階段上がって左手に手水舎



























