前回からの続きです
浄住寺から地蔵院の前を通って降りたとこに、こんな建物が
かぐや姫御殿
全てが竹で出来ているとか⁉
このように門が閉ざされていたので、外観を見ただけですf(^ー^;

その横の道を歩いていくと、知る人ぞ知る

鈴虫寺(華厳寺)へと続きます
階段とこまで並ばれてたのでスルーえー

そこを道に沿って歩いていると、左手にお寺らしきとこがありました
最福寺旧跡地(西光寺)
住所・京都市西京区地家山4―2

階段上がる右手にはいっぱいの石碑


こちらに縁のある延朗上人の由緒がありました
延朗上人(Wikipediaより)
延朗(えんろう、大治5年(1130年) - 承元2年(1208年))は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての僧侶。対馬太郎源義信の長男。松尾上人と号す。
文治年間、元は平重衡の所領であった丹波国篠村庄を賜った源義経の申し出により、同庄の寄進を受ける。初めは固辞した延朗であったが、いったん引き受けた後は、領内の農民の年貢を停止し、代わって念仏を奨励し、その唱えた回数に応じて年貢の受け取り状を交付した。義経が朝敵として追われた後は、源頼朝に同庄の返上を申し出るが、それには及ばないとされ、文治2年(1186年)、頼朝の使者豊島有経を通じて、改めて同庄を賜った。
という経緯があったそうです

本堂

その横にはさしのべ観音さま


この時期はちょうど紫陽花が見事に咲いてました♪(*´▽`*)
それも拝観無料♪照れ





さしのべ観音さまのとこにおられた六体地蔵さまの解説だったと思います

こちらには書き置きが置いてありました
京都洛西観音霊場番外札所

由緒書き
父親である源義信ってこちらを読んだら、なんと源義家の孫だったんです
延朗上人は義家の曾孫ってことびっくり
そんな武門に生まれても出家したりするもんなんですね
こちらの上人は出家されてからも、源氏の故を以て平清盛に追われ、各地を遊歴するなどの苦難もあったようです
上で抜粋で載せた亀岡に行ってからも、免租だけでなく、当時流行した悪病難病の治療のため、寺内に浴室を造り、自ら病人の体を洗って病気を癒す等して、多くの民衆の救済に献身されたそうです
(由緒書き抜粋)

書いたようにこちらは延朗上人が建てられた最福寺の旧跡地になります
今は西光寺というとこが管理されてるようです
次回はその西光寺になります
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ