こんにちは、みなさんお元気ですか?
本日は久しぶりに、ここ茨城県筑西市の歴史・文化財を紹介します。
さて、筑西市女方(おざかた)に、女方遺跡という遺跡があります。
女方遺跡は、昭和14年から3年間にわたって田中国男博士により発掘が行われ、人面付壺形土器(人面土器)の発見により当時の考古学会注目の的となった遺跡です。以前紹介したように、人面土器をはじめとするの貴重な出土品は現在、東京国立博物館が所蔵しています。
女方遺跡は、昭和14年から3年間にわたって田中国男博士により発掘が行われ、人面付壺形土器(人面土器)の発見により当時の考古学会注目の的となった遺跡です。以前紹介したように、人面土器をはじめとするの貴重な出土品は現在、東京国立博物館が所蔵しています。
こちらが人面土器↓
それでも更にさまよっていると、遂に解説板を発見。しかし、よく見てみると解説板には、「女方本田前遺跡」と書かれています↓

実は女方では、平成になってからも発掘調査が行われ、市教育委員会により「女方・本田前遺跡緊急調査報告書」が作成されています。
同報告書によると「女方・本田前遺跡」という呼称は、昭和に発掘調査され人面土器が出土した「女方遺跡」を包括する広い範囲を指すようですが、ここ、つまり平成の緊急発掘調査を行った場所と人面土器の出土地点は別の場所のようです。
今回探していたのは人面土器の出土地点。しかし、いつのまにか別の発掘現場にたどり着いてしまいました。
参考までに解説板の内容を記しておきます↓
女方本田前遺跡
女方本田前遺跡(おざかたほんでんまえいせき)は、鬼怒川左岸の標高40メートルほどの台地上にあり、古くから縄文~弥生時代の土器や石器などが出土することで知られていた。
昭和14年から3年間にわたり田中国男博士が発掘調査を行い、約20メートル四方の範囲に小竪穴(土壙どこう)が群集して発見され、内部にそれぞれ弥生式土器がおかれていた。
器形は、大部分が壺形土器であるが、広口壺形土器、小型壺形土器、細頸(ほそくび)壺形土器、瓢形(ひょうがた)土器、特殊壺形土器、人面付壺形土器などに分類されている。
これらの土器のなかに碧玉製管玉(へきぎょくせいくだたま)が納められていたことは、小竪穴は住居跡の類でなく、弥生時代中期のころに営まれた再葬墓と考えられる。
出土した人面付壺形土器は、全国的にも例の少ない優品として著名である。
女方本田前遺跡(おざかたほんでんまえいせき)は、鬼怒川左岸の標高40メートルほどの台地上にあり、古くから縄文~弥生時代の土器や石器などが出土することで知られていた。
昭和14年から3年間にわたり田中国男博士が発掘調査を行い、約20メートル四方の範囲に小竪穴(土壙どこう)が群集して発見され、内部にそれぞれ弥生式土器がおかれていた。
器形は、大部分が壺形土器であるが、広口壺形土器、小型壺形土器、細頸(ほそくび)壺形土器、瓢形(ひょうがた)土器、特殊壺形土器、人面付壺形土器などに分類されている。
これらの土器のなかに碧玉製管玉(へきぎょくせいくだたま)が納められていたことは、小竪穴は住居跡の類でなく、弥生時代中期のころに営まれた再葬墓と考えられる。
出土した人面付壺形土器は、全国的にも例の少ない優品として著名である。
ちなみに平成の発掘現場は現在、月極駐車場になっています↓

というわけで、今回は人面土器の出土地点を確認できませんでしたが、またいつかチャレンジしてみたいと思います。
■東京国立博物館ホームページの解説
人面付壺(じんめんつきつぼ)
茨城県筑西市 女方遺跡出土 高69.5弥生時代(中期) 前2~前1世紀 J34947 田中國男氏寄贈
弥生時代の東日本地域には、「再葬墓」と呼ばれる墓制が広がっている。これは骨化した人骨を再び壷(壷棺)に収納し、これら数個を2メートル前後の円い穴の中に同時に埋めたものである。これらの壷には稀に口頸部に顔を表現したものもある。本例はその類品中最も精巧なもので、目と口の隈どりは入墨を想起させ、弥生人の風貌をしのばせる。
人面付壺(じんめんつきつぼ)
茨城県筑西市 女方遺跡出土 高69.5弥生時代(中期) 前2~前1世紀 J34947 田中國男氏寄贈
弥生時代の東日本地域には、「再葬墓」と呼ばれる墓制が広がっている。これは骨化した人骨を再び壷(壷棺)に収納し、これら数個を2メートル前後の円い穴の中に同時に埋めたものである。これらの壷には稀に口頸部に顔を表現したものもある。本例はその類品中最も精巧なもので、目と口の隈どりは入墨を想起させ、弥生人の風貌をしのばせる。
