普通って何だろう? | アラフィフ働き女子の『わたしの人生』を生きる方法

アラフィフ働き女子の『わたしの人生』を生きる方法

自分の中心に自分がいる、当たり前のようでそれがなかなか難しかったりするんですよね。
自分の中心にいるための日々の気づきやもろもろを綴っています。


[ちょっと言葉の使い方が乱暴です。不快になる方は読まないでね]

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障害者と言われる子、発達障害と言われる子たちは特殊学級に入れられて隔離される。
確かに、身体的な障害がある子は、普通と言われる子たちと同じような動きは難しいだろうし、当然出来ないこともあるから分けても仕方ないと思われることはあるかもしれない。

けどそれが、子供のうちはガッツリ隔離されて、大人になっていきなり世間に放たれる。
これは本人にとっても、周りにとっても対応しきれないこと。

昔から思うのは、小さい頃からそこにいるのが当たり前というスタイルを作っておくことが必要なんじゃないかと。

障害者とくくられてしまう人はちょっと個性が違うだけ、ちょっと不便なだけ、だと思うの。

荷物をたくさん持っていて大変そうな人がいたら手を貸すでしょ?
必要なのはその感覚なんじゃないかな。
小さい頃からその感覚を持っているとどうしていいのか困ることは少なくなる。◯◯ちゃんはこれが苦手だから、◯◯ちゃんはこれが出来ないから、手を貸す。それが当たり前になれば受け入れられる世の中になる。

小さいうちからお互いに慣らしていくことが本当に大切で、手を出す方も助けてもらう方もそのやり方が自然に身についていく。

特殊学級で隔離するという教育、なくならないかなぁ…当然手助けは必要。それは専門職の人だけじゃなくていいと思う。

綺麗事、かもしれない。
けどね、自閉症の子を身内にやっぱりわたしは彼らが幸せに生きられる社会にしたいからそう思うんだ。

昨日、コウノドリで新型出生前診断の話を見ながらそんなことを思ったんだよね。。。