こんにちは、亜希ですハート




私はずっと、人の役に立たなければ


自分には価値がない

そんな自分はダメだ(許せない)


そんなルールを課してきましたが




自分に役割というものは

いらないのではないか


ふと、そんなことを思いました




皆さま、それぞれに

役割や立場をお持ちだと思います




私だと…


母親であり、妻であり、娘であり、

大人であり、社会人(お休み中)でもあります




役割だと思うから



母親なら〇〇すべき

妻なら〇〇したほうがいいかもしれない


娘なら親のために〇〇しなければ

大人なら〇〇はしないだろう



そんなルールが一緒に紐づいています




自分の中に無意識に


母親とは、娘とは…といった

〇〇像ができあがっていて




それに沿って


自分ができた・できていない

自分はよかったか・ダメだったか


を判断してしまいます




でも…


全部、自分が思考でやっていること

なのですね




そうすると、失敗したら

周りから責められたような気になるし


うまくいかなかったと思えたら

自分のすべてがダメなようにも思える




これが合格で、これは失敗


無意識にそんな見方をしています




でも、そもそも


どんな自分であっても

その立場は変わらないし


揺らぐことはないのですね




例外を除いて一般的なところで言えば

生物学的に


母親は、卵子を提供して産んだ人

娘は、親から産まれて女性の特徴を持つ人


妻は、結婚している女性

大人は、成人を迎えた人




そこにこうあるべきと

〇〇像を通して見ているだけで


その〇〇像を満たしても満たさなくても


もう事実として

母親で、妻で、娘で、大人


役割を果たしているから

認められるわけではないのですね




役割だと思うから

その役割を果たさなければ(ダメ)


そんなバイアスがかかっているような

気がしています




役割を果たそうと力を入れなくても

どんな母親でも、すでに母親です




そうであるならば


役に立たない自分でもいいじゃない

と思います




役割を放棄するのではなく


手放せるものは手放して

相手や自然な流れに任せるという意味です




その代わりに


「自分はどうしたい?」

を基準にしてみるのはいかがでしょうか





すでに生きる私たちは

役割があって生きているのだと思います


目の前の誰かのための役割よりも




自分が生きることになった

役割や意味のほうが


人生を費やして追いかける甲斐が

あるような気がします




そして、そこに導いてくれるのは

《感情》ではないかと思うのです



《やりたい》《やりたくない》

《これが好き》《これが楽しい》

《なんか惹かれる》《つい意識してしまう》



最近、その点を追って進む先に


すごく面白い未来があるような

気がしてならないのです




誰かにならなくていい


そこに少しずつ近づけているような

気がします




うまくいった今日も

うまくいかなかった今日も

後悔した過去も、泣きたかった日々も

いつもありがとう

全部、ありがとう

 

 

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※名前を《せり》から変更しました