1回目の海外駐在。タイ。

私が29歳の時だった。

 

上の子が年少、下の子をその年に産み、タイでの生活は、まさに育児真っ只中だった。

 

 

当時住んでいたパタヤの辺りには日本人学校がなく、そこへ住むということはインターへ通うという選択肢しかなかった。

 

 

小学生の子を持つお母さんたちは、「小学4年生が分岐点」という言葉をよく言っていた。3年生までの日本語には、海外で生活している日本人もついて行けるらしいが、4年生を境に教科書に出てくる単語が急変するらしいのだ。

 

 

たとえば、雨が降る量というのはわかるが、降水量と言われるとわからない、だとか、その場所でとれる有名な食べ物が、特産物だとか。つまり、使用単語のステージが1つ上がるというわけだ。

 

 

知り合いのお子さんが、卵焼きの作り方を書いて提出する宿題があり、一生懸命書き上げた宿題のタイトルが「どうやって卵焼きをつくること」だったとか。そういうことだ。

 

 

そのため、お父さんを現地に残し、奥さんは子供を連れて帰国を選ぶパターンが多かった。

 

 

ということは、小学校高学年やまして中学生以上の子を持つ家族は、ご主人が単身でやってくる場合が多く、それはどういうことかというと、今、私がここシカゴで知り合う人たちの多くは、私がタイで生活していた時の年齢、つまり自分よりぐっと若い人が多いということだ。

 

 

いつの間にこの年になったのか・・・。

 

 

ドタバタと子供の成長に付き合っていると1年があっという間に過ぎ、30代前半からは転げ落ちるように今がある。よって、30代前半と四十路の今と何も変わっていないと思うのだ。

 

 

ただ、思い返せば、タイ時代、中学生くらいの子をもつ40代のお母さんをみて、スゲー、40代ってどんな毎日なんやろか、と思っていたのも事実。

 

 

それをことあるごとに思い出そうと今、している。

ついつい、同世代と思い話してしまう節があるからや。

 

 

私から言わせれば、39という数字の次に40があるだけで、なんの変化もないわけや。ただ、それをごり押しすると、オバハンやと思われるんやろう。

 

 

己を知り、己を認めよう、そう決心した。

 

 

知り合いが誕生日を迎えたのをフェイスブックの投稿で見た。

いよいよ大台!!なんて言われて。

えー、40かいな、この人、若く見えるやんか、と思ったら、30歳の誕生日やった。

 

そこ、大台でっか?

 

 

アカン、アカン、一人ズレてもうてる。

そう私は、30が大台やと思っている人たちと交流をしているのだ。忘れてはいけない、オマエはもう充分オバハンだ。



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