踏み出す一歩が自分(せかい)を変える -2ページ目

踏み出す一歩が自分(せかい)を変える

自分を変える。
自分に還る。

こころの温度を上げていこう♪


むかし、Tony(Anthony Robbins)が Twittertwetter で
こんな「つぶやき」をしていた。



"People will never give u respect
 for what you're ABOUT to do."




たしかに、夢を語ることは
みんなに明るい未来を感じさせる。

自分が描く未来の姿
やろうとしていることを伝えて
聞く人にわくわくとやる気を喚起するのは
とっても素敵なこと。



でも、「しようとする」ばかりでは
しだいに耳が傾かなくなる。



「しようとする」以上に

その人のうしろに無言で積み上がっている 行動と成果たち



わたしたちが 敬意を抱き耳を傾けるのは その存在に、なんだよね。





それが どんなことであっても



たとえ、一見
破壊的に思えるような言動であってさえも



すべては
自身の幸せのため

そして、健やかさのために
そうしているのだ。



傍から見たら
また、時を経て振り返ってみたら

「ほかにもっとやり方あるだろうに…」
「どうして、そんなこと言うかな…」

ということであっても



そのとき、その瞬間にあっては
その人が取りうる(その人の世界/知覚/認識のなかで)
「ベスト」のやり方をとった



…その結果が、そうだった、ということ。



その瞬間の、その人の「取りうる選択肢」が
「そうだった」「それだけ、だった」のであろう、ということ。



いずれにしても

自身の幸せや、
自身の健やかのために、
いまとりうる最善の選択を している
のだ。



すべては、「健やかさ」に向かっている。




そして、これまでの選択や言動を
よりいっそう健やかさに向けて推し進めるも
健やかさを希求しつつも逆に向かわせるも
いずれも、可能だ。



そして、もしかしたら




より幸せで、より健やかな自分、
より幸せで、より健やかな人生を生きる秘訣は
そのために「取りうる選択肢」を
より広く持っておくこと

なのかもしれない。



わたしたちがやっていること

そこには、 それを通して 得たいと望んでいる
“なにか”があります。



つまり、 その“なにか”が 理由となって
さまざまな活動を起こしています。



それをするに 必要で十分な理由があれば
それを しない選択をしない ということは少ない
のではないかと思います。



その人の中で、「 それ」をすることが
「やった方がいいかなぁ…」
ではなく
「そりゃ、やらなきゃでしょ!」
ってほどのことだったら…



やらない方が ありえない。
(ま、それでも“やらない”ことも  あるんだけどね。それはまた別の機会に)



買う理由があれば
それが必要で十分な理由なら
高くても買うだろうし

行くだけの絶対的な理由があれば
多少チャレンジがあっても行くだろうし。






やらないのは、やらなくてもなんとかなっちゃってるから。

もし、ホントに、やらなければならない理由があったら
四の五の言わずに、既に「やりはじめている」。




「できる」「できない」よりも
「やらなければならない」だったら、「やる」

なのです。





ちょっと矛盾して見えるかもですが汗



できないからこそ
できることがあります。



「できない」からこそ
わかることがある。

「できない」立場だからこそ得られる
洞察や フィードバックがある。



「できる」至る途上、プロセスの中にあるからこそ

仮説を立て、検証し、調整して、 また実行してみて…
そうやって 一歩一歩ゴールへと近づいてゆく経験ができる。



「できない」からこそ
それを「できる」に換える
たくさんの可能性に満ちている。



「できる」まで待っていたら
いつまでも「できる」には 会えないかもしれない。



「できない」と感じている 今だからこそ
「できる」ことが ある。





そして、

「できない」は、「いまはまだ、できない」なだけで
一歩、一歩、踏み出すごとに「できる」は増えていく。



自分を「できない」に留めておく理由がないなら
そこに居続ける理由は、なんだろうね?



前の記事で、

決断するときに大切なことは、
始める前に「やめる」ことについても考えておくこと


という話を書きました。



リンク 決断するときに大切なこと







そして、もうひとつ
忘れてはならない大切なことがあります。



それは

その決断は、自分をいっそう幸せにする決断か?




その決断自体も
その決断をすること自体も
自分にとって心からの悦びだし

その決断をすることで
その先の自身の行動や考えや思い
そして、それらの結果として起こるであろうことが
自分にとって喜ばしく感じる

幸せなもの、か?




そこを、自分の心に素直になって
慎重に、そして、丁寧に
確かめておくことが大切です。






コーチやセラピストとして

クライアントとしておいでくださる方々の
「決断」するための心の過程に寄り添わせてもらったり

「決断」の瞬間に立ち会わせてもらったり
する機会は多いのですが



なかには、「アタマで為した決断」を

ココロに蓋をしたまま
「決断」と称して強引に強行しようとしているケースも

あるのです。しかも、決して少なくありません。



ココロが望んでいない「決断」を
「しなければならない」ときは、あるかもしれません。

けれど、そういうとき
本人はおっしゃらなくても、本人のカラダが
雄弁どころか、もう文字通り「全身で訴えかけている」のが
見えるので



「ほんとうに、その決断は、自分が心から望んでいる決断なのか」
「ほんとうに、その決断をすることで、自分が心から幸せと感じるか」
「ほんとうに、その決断をした結果起こるであろうことは、幸せなのか」

などなど、慎重に確認をすると



「…そうではなかった」



と仰ることが殆どなのです。



冷たいかもしれませんが、

It's your choice.

選ぶのも、決めるのも、周りの誰かではなく
他でもない、ご本人。



ご本人が「それを決断する」と仰ったことを
周りが「ちがうんじゃない?」と再考を強く促すというのは
領分を超えた出すぎた行為かもしれません。



ですから、ご本人が「そう」決めたことは
「そう」として尊重して、セッションを進めていきます。



けれど

正直なところを言うと、そのような決断をしたものは
続かないことが多いです。



「残念ながら」と言うところなのでしょうけれど
ご本人のココロの声、カラダの声から察するに
「幸いにして」と言った方がよいのかもしれない、
…とまで言ったら言い過ぎでしょうか・・・・






どんな決断も
すべては、いま、そしてこれからの
(…おそらく、これまで、も…ですが)

自分自身をよりいっそう
幸せにするためハート



もっともっと悦びに溢れて
いきいきと生きるためキラキラ



たとえ、一見「ネガ」に見えるような
決断や、それに基づく諸々の言動も
ちょっとした行き違いや何かがあって多少捻れてしまってるかもですが
それでも、「幸せ」のための決断、なのです。



だから、どんな決断であっても
リスペクトされるものだとは思いますが



自分のココロが、カラダが
明確に

YES !!

NO !!

訴えているのに、



そこに目を向けずに
そこに耳を傾けずに
そこに手を触れずに

「外側」で決めてしまったことを
強行しようとする「決断」は



本当に、本当に、
自分を幸せにするか

本当に、本当に、
自分は幸せか



何度も、丁寧に、真摯に、
自分に素直になって
確かめること。




決断したことを
長く続く現実のものとしていくためにも

なにより、
自身や周りの、愛するかけがえのない存在を
もっともっと幸せにするためにも

とても大切だし、欠かしてはならないことなのです。