イギリスは日本という豚をよく太らせるために”近代化”させた

 輝かしい産業革命の証人だというのが、グラバー邸だの炭坑だのが
文化遺産とされるべき理由だというのですがヽ(゜▽、゜)ノ

 以前にも紹介しましたが、このブログは新聞でなく”旧聞”ですので
再掲します:

 羽仁五郎『日本人民の歴史』[岩波新書、1945.5.10発行、p62~71]
[原文旧字旧仮名]。
  改行・赤字・下線はkatsuko。

   1863年、 明治”維新”の5年前です。
当時駐日英国特命全権公使サア・ラザフォド・オルコックは、
かれの著書Sir Rutherford Alecocks,
The Capital of the Tycoon: narrative of a three year’s residence in Japan. に、つぎのように書いていた。
 “われわれのマニュファクチュア工業のために新しい市場を開くこと”。
 “今日、われわれの国のような工業国の政府は、いずれもつねに
東洋諸民族のうえに新しい市場を開き新しい条約を結ばせていくことの
必要にせまられている”。
 “そしてこの新市場はいまや主として極東によこたわっているように見える”。
そして、特に“いまこの瞬間にわたくしの眼は日本に
この西洋の増大してやまぬ工業の製品の一つの新市場を得られるであろう
として、向けられてきたのである”。すなわち“われわれが地球をめぐって反対の側から進んで行った両端は、ついに日本においてあい会し完結するのである”。
しかるに、日本にはまだ
“マンチェスタアまたバアミンガムの製品に対して、欧州マニュファクチュア製品に対して、
まだ充分の要求[需要か=katsuko]がない”。
“そこに、何よりも生産の自由なる交換”が要求される。
しかし、そのためには、その日本の“支配階級と大衆との間に現存する関係、その封建制がその東洋的形態においてその村落および都市の人口に及ぼしている作用に対して判断が下されなければならぬ”。
けだし“軋轢や衝突または故障や中絶の危険なく新市場を確保する
ということがマンチェスタアの夢であり、われわれの産業的利益一般の希望
である”。
“各種の需要の要求は、開拓とともに、文明とともに倍増する”。
しかるに、封建制下の日本では、
“土地の非常の豊沃とその上に住んでいる民衆の非常の貧窮とが、
はげしい対照をなしており”、そこでは古くからの“自給自足”が
今にいたっている。
しかもすでにして“イギリス工業製品は
ようやくそのみちをひらいて国内に消費力をみいだしつつある”。
  そして“民衆の間には貿易に対する大なる欲求があり、
いわゆる排外的な感情や貿易制限の意図も、
実は下からでなく上から、支配階級から来ていることが明らかである”。
“政府は物価騰貴のことを云いたてて、
それが外国貿易に対する反対運動の原因となっているというが、
人民がそう考えているという証拠はなく、
反対に、人民は貿易を希望している”。
“封建的支配者は、商業とくに外国貿易に、
富の諸要素と中間階級の生長とを見、
その中間階級は次第にもはや封建農奴制にとどまっていなくなるだろうことを見、
すなわち外国貿易交通に革命の種子または酵母を見ている
からにほかならぬ”。
  “これらの封建階級は、その因果関係を意識してか意識せずにか、
それはともかく、まさに本能的に、
外国関係の進歩および商業の発達に、
彼等の特権の破壊すなわち彼等の権力の転覆を見ているのである”。
  それにもかかわらず、あの“自給自足”はようやく
貿易によって破られねばならないし、
その貿易の進展のためには、
“封建的支配は、現在の瞬間においては、
平和的かつ満足的な解決へのすべての進歩に対する真の障碍であり”、
すなわち、“日本の支配者の上から下までの体系と行動とに、
何等かの本質的な変革”が必要であり、それは、
“久しい時か、さもなくば政治的社会的変革によって来り得るのである”。
  そして、すでに“一の大なる変化が
君主と人民との基本的関係のなかに作用しつつあり、
全封建的権力は根底からゆるがされつつある。
それらすべての結果、
一の新しい社会的政治的基盤が、
無秩序と暴力との中絶的期間なくして、得られるか、どうか、
きわめて大きな疑問である。危険は疑いもなく大である”。
  “日本の政府が、現在までに一の革命に脅威されつるある、
と言明している”。
 そして、その“革命は、
外国人をも日本政府をも同様に攻撃の対象としていると見られている”。
 “内乱の危険は大きくなりつつある”。
 そこで、“この暴力にうったえようとする傾向、
テロリズムの体系をみちびこうとする傾向をチェックすること、
そして、適当なる民衆との接触点と交通の手段を確保すること、
ここにわれわれは将来の政策のための唯一のかぎを求めなければならない”。  ここで充分に考えなければならぬことは、
“西洋諸国およびアメリカそしてわがイギリスは、
極東に重大なる利益関心をもっており、
この極東における欧米の利益のために、
日本は一の前哨または分営であり”支柱たるべきものだといういことである。
 “日本との貿易のことを云わないとしても、
日本にわれわれの極東に対する影響力の中心をもつことができるのだ。
 いやしくもわが大帝国のこの連鎖において
その一の環といえども決して破損されてはならぬ。
 そして、日本はその一環である”。
そこで、一方では
“商船でおおわれた海は平和の保障だが、
そこに軍事的施設、軍艦および軍港が優越してくると、
それは防御の劣ったいずれの商業にも危険の源泉となる”がゆえに、
そこでは特にロシア帝国の侵略はあくまで排撃されねばならない。
のみならず、日本に対する“戦争が避けられないように見えるにしても、
それは日本の貴族階級および封建諸侯のみに対するものであるべき
”決して日本政府を打撃するようなものであってはならない。
 すなわち、日本はあくまで独立せしめられておらねばならず、侵略されてはならない
 けだし、日本に対する“われわれの綱領<プログラム>”は慎重を要する、
というのは、“われわれはすでに
中国において”太平天国人民革命において“苦き経験を有し”、
また“メキシコにおいてすべて銘記せしめられ”るところがあった
特に“日本において、現存の政府が代表し統制している力と秩序との諸要素があるのを尊重しなければならぬ”。
“それでも、貿易と商業とは、
大陸と海をこえて、その進路をきりひらき、
平和をさけびつつ、戦争と混乱とをともなうのをつねとし、
それは極東において、商人および政府の意志の如何にかかわらず、
革命的にはたらかざるを得ないであろう”。
そして、日本の徳川幕府において、
“第一に、その封建的支配性、
第二に、その政府の極端に技巧的かつ不健全なスパイ政治の体系は、
進歩のための重大なさまたげである。
これら、現在の日本の政府の体系のように、
思想言論行動のすべての自由を抑圧した体系は
もはや政治的効力を失ったものなのだから、当然変革せれれねばならない”。
それならば、そこには如何なる政治的変革が必要とされるべきか。
すでにして、“きわめてひろく云って、
専制主義、封建制、制限君主制、共和制および民主主義、
これれのおのおのの体系はそれぞれ試験ずみであり、
そして、それらが何を為したか、明らかである。
すなわち、一方では専制主義封建制は進歩に反する、
が、他方では、いわゆる平等なるものは事実上に不可能であり、
自然に由来する市民的差別にまで反逆することはおろかなことであり、
地位や富や政治力などの一定の権利をみとめないといういことは
政治的ユウトピアであって、実現できることではない、という事実である”。
しかも、日本にあるのは“封建的貴族政治と絶対主義的政府とであり、
その麻痺した政治と労働的民衆とであり、
保守的伝統主義と社会的貧困とであり、
これらが大きなさまたげをなしているのであるから、
これらをとりのぞくための暴力が必要とされ、
かくて、変革が完了し新しい社会的基礎がおかれるまでには、
動乱と無秩序との時期が来らねばならないであろうということは
全く確実である”。
されば、結論として、“日本における新しい原則への変革は、
上層から下層への浸透の過程として行わるべきであって、
外からまたは下からの強い圧力によって行わるべきではない、
と断定せねばならぬ”。
けだし、中国においては、事態は、すでに太平天国の革命的動乱を前にして、“イギリスが、または現在としてはイギリスとフランスとが、
自己の海軍および陸軍の兵力をもちいて
主要の港および商業の中心地方を防衛する任務をひきうけ、
これらの軍事費を中国をして支払わせるか、
さもなくば、中国政府をたすけて
その陸軍と海軍とを組織させてここれと同じ任務をはたさせるか、
このいずれかが必要となってきている。
いずれにしても、これは、いうまでもなく、
清朝帝国政府を援助することであり、
したがってそこに当然あの太平天国の敵意と攻撃とを
われわれの上に転ぜしめることを予想せねばならぬであろう。
しかし、それは、絶対的な意味における中立と不干渉とが、
われわれの利益をまったく破壊するであろうことを思えば、
やむをえないとされねばならない。
われわれはもとより国際法による中立と不干渉との義務を負うが、
ここにいうせまい意味の干渉は、それとはちがうものであって、
むしろ、法を認めず条約をまもらず
ただ暴力のみを認めるのみの暴徒に対する禁止処分または暴圧
とみなさるべきものを主張するのみのものである”。
日本においても、
“われわれがあらゆる手段において、科学および軍事において、
彼等よりも強力であることはいうまでもなく、
実際の対立がはげしくなる危険はたえずあるのであり、
これを避けようとするわれわれ外交のあらゆる努力にもかかわらず、
いよいよとなれば、日本が敗北し征服されるであろうということは疑いない。
しかもこの征服者と征服されたものとの露骨な関係の下で、
民族がちがい性格がちがい、
相互の目的また考えかたまた理解のしかたにまさに対照的なちがいが
あるものが、
いったん衝突してそのたたかいの終わったあとに、
およそ融和のありえないことは、明らかである”。
されば“その民衆のアジア的な強情にして決定的な反抗、
反乱および暴力またはテロリズムの危険のあるかぎり、
われわれはあくまで慎重に正しい解決のかぎを求めねばならないのである”。
そして、一方では、日本における“物資と労働のやすいこと”を尊重しながら、
他方においては、日本に工業製品に対する購買力をたかめること、
この二つの究極の目的を、調和させながら実現するという
むずかしい問題を解決して行かねばならない。
 これがオルコックの綱領でありその結論であった。
 そして、オルコックを通じて、かくも、のこりなく云いあらわされていた
国際資本主義マニフェストは、
このころ、アメリカ政府から中国および日本政府へまねかれていた
鉱山技師、ハアヴァード大学教授ラフェル・パムペリイによっても、
本質的にまったく一致して、云いあらわされていた。
Raphael Pumpelly,Across American and Asia,notes of a five years’journey around the world and of residences in Arizona,Japan and China,New York,1871.(MS.1868)パムペリーが云っていた、“正義の問題をしばらくべつとしても
、ヨオロッパおよびアメリカの物質的利益からしても、
その東洋に対する政策にいまや一つの根本的は変化が要求されて
いるのである。
アジアの民衆とわれわれとはいま交渉を深めようとしているのだが、
その場合、現在、かれらがわれわれに依存するよりも、
われわれがかれらに依存することが、はるかに大きくかつ多いのである。
同時に、われわれはかれらのあいだに
われわれの工業製品のための主要の市場をつくり出そうと
希望しているのである。
しかし、このような市場が東洋につくりいだされるためには、
その前提として、そこに
それぞれの種類の欲望がつくりいだされておらねばならない。
社会がくずれて行く状態におかれているところに、
こうした健全な欲望が成長することはできない。
東洋の国民の生活力を害するようなことは、
そこにその政府を弱くして間接に無政府状態をまねくことであろうと、
あるいは、アヘンを強いて売りこむことであろうと、
こうしたことはすべて、西洋の利益に反することなのである。
正義から云っても、
われわれ自身の利益から云っても、
われわれの政策は、東洋諸国の政府をして
対外または国内の困難について
外国の軍事的援助をかりるというようなことのないようにさせねばならぬ。
かくて、それらの政府の力を強めることが最も重要である。
”そして、そのためには、アメリカが、そのころ、そのすぐまえに、
一八二〇年ハワイにはじめて宣教師を送り、
その後アメリカの指導の下に
ハワイをして自から教育上、法制上、政治上の改革を行わせ、
一八四〇年には立憲君主制への転化を行わせ、
かくて、“智識水準の向上は民衆の欲望を増大させ、
農業および製造工業の発達、
砂糖そのほかの産業また鉄そのほかの金属工業の発達により、
一八五八年には、
主として農業生産物よりなる輸出が五三万ドルに達するとともに
輸入が79万ドルとなり、
一八六〇年には輸出一三三万ドル、輸入一九〇万ドルにのぼって行った”
という最近の経験もあったのである。
さらに、日本貿易新聞、一八六四年九月七日、にも、
当時、世界の資本主義が、中国における経験によって、
日本においては、
そこにいまある政治的権力の秩序とある程度まで妥協すること、すなわち、
下からの変革的民衆運動をある程度まで抑圧することに無言の協力をするこ とに成功したい、と考えていたことがあらわれていた。
 こうした政策のもとに、当時、駐日英国行使館書記官エルネスト・サトウによって、直接に、日本の政治的変革が指導されていたことは、サトウ自身の記録からも知られる。