メモ四回目です。


「西遊記」のテーマであり、主要なモチーフとなっているのが「死と再生」のようです。

三蔵や悟空達は、旅の途中で「(擬似的な?)死と再生」を繰り返し、成長していくわけですが、そもそも西天取経という聖なる大事業に参加するにふさわしい存在に成長するための「死と再生」というイニシエイション(通過儀礼)を経験しているんですね(^_^;)


 孫悟空は石から生まれて以来、何度もイニシエイションを繰り返し、その都度新しい段階に到達しているようです。まず最初に滝に飛び込んでいます。擬似的な自殺のようにも見えますが、結果的に水簾洞を発見して美猴王となりました。その後、不老不死を求めて筏に乗って花果山を去りますが、これは猿の群れから見ると美猴王が死んだ状態のようです。結果、無限の神通力と新しい名前を得ました。孫悟空という新しい名前は、これまでの自己と決別した証です。

 花果山に戻った悟空は、傲来国から武器を奪い、猿の群れを組織的な国家へかえました。次に龍宮に乗り込み如意棒を奪い、冥府では自分と猿一族の生死簿を抹消しました。冥府入りはもちろん、海中に入ることも死を表しているようです。結果、悟空は天上界の人となり、この時点で花果山の意味は変化し、そこへ帰るということはイニシエイションとしての死を意味することになります。

 天上界では最初にヒッパオンという低い職を与えられ、怒って花果山に戻り天界と戦うわけですが、結果和平が成立して斉天大聖の位を認めさせたんですね。その後、桃園を荒らして再び花果山に逃亡して捕えられ、八卦炉に入れられるが、これも擬似的な死であり、結果として金属の身体(?)を獲得。そしてついに如来によって五行山に押し込められるのですが、石から生まれた悟空にしてみたら、母の胎内に戻されたということを表現しているようです。


孫悟空は、三蔵のお伴をして天竺へ行くためのエネルギーを獲得するために、これだけのイニシエイションを繰り返さなければならなかったのですね!話が飛躍しますが、人間の一生にも似ていませんか?人は誰も多かれ少なかれ、挫折や失敗を繰り返して成長していく・・・。


次回は三蔵、八戒、悟浄の再生について、触れていきます(^∇^)