「かしましめし」はなんか気になって。
両方とも,読んでつくづく思ったのは,一緒に食事を摂る人,重要。
うちでは私が「作る人」で,オットは料理がほぼできない。
凝ったものも手抜きでもなんでもいいよと言ってくれるし,手抜きものをおいしいと言って食べるのはいいのだけど,ほんとに「なんでもいい」。
そんで,今は子どもにご飯あげるのに私がかかりきりになっちゃうからか,ほぼ100%,新聞やらを読みながら食事をする。その場にいるけどいない。食事を介したコミュニケーションがない。たまに新聞から目を離して子どもに話しかけたりするけど,その中で私の作った食事というのは無視されてるわけです。
かたや,『かしましめし』の食事シーンの勢い,食事して「生き返る〜〜!」のセリフ,溢れる湯気,3人の陶酔した表情。
(こんな表情でこんな勢いで食事食べてもらったことはかつて一度もない)
千春も,こんな2人に,作り手としても癒されている。
食事に提供されたものを受け取り,認めることで愛が成立し,食べ物を介した3人のやりとりが自分たち自身を癒す。
うーんこれもセッションみたいなもんかな?
『きのう何食べた?』のケンジも,つくづく受け取り能力が高い。
1巻の頃は小言言われてご飯中にしょげて,シロさんに「オレの作ったメシをそんなまずそうに食うなよお前」とかいわれ,改めて味わって「バランスとかは全然分かんないけどこの炊き込みごはんすっごいおいしい〜〜!」とハートマークをとばしてたケンジですが,今や食べながら料理番組のコメンテーターばりの感想を飛ばすように。
つきあって13年というから,シロさんの教育の賜物なんだろうか。。自分でもちょいちょい凝った食事作るようになってるもんな。
夫婦喧嘩(?)の仲直りにも料理を作る,食べる,という手段があって,やはりこの関係性がふたりを,あるいは友人カップルとのやりとりを支えている気がする。
こういうやりとりができる「食べる人」にご飯食べてもらえるってすごい幸せだと思う。
…ここまで書いて思ったけど私,料理を見ずに新聞片手に消費されることに結構傷ついてるな(苦笑)ちょっと対策が必要かも。
子どもを教育するしかないかなーって,こうして親の呪縛が始まるのかもしれませんが,食事だけでなく,受け取り能力の高い人にはなってほしなーー。親は2人とも若干苦手なタチなのでどうなるか,ですが。
『きのう何食べた?』は前からちょいちょい献立の参考にさせてもらってますが,この先数年後に待ち構えていそうな「大人数ごはん」に『かしましめし』レシピやってみたいです。
おかざき真里先生のtwitter には時々美味しそうなゴハンが出てきて,とうもろこしゴハンなんかは早速真似させてもらいました



