先ほど突然の出血があり、
派手ではありますがおそらくおしるし?
お産が計画通りに進むのか…はたまた陣痛が来てしまうのか…
ドキドキの夜を迎えております!
というわけで、急ぎ闘病記をまとめます。
(我が子の話なのでたっぷり主観が入ってしまうこと、何卒ご了承くださいませ!)
入院中のムスメの経過
発熱後4日目 (CRP値15.6)
お昼に大学病院に搬送されたムスメは、
まずはアデノウィルス、ECウィルス検査を受けましたが、共に陰性。
まずは個室に入院となり、
免疫グロブリン治療の説明を受け、同意書にサインをし、
投薬の準備を待ちます。
この日も朝から40℃台の熱があり、体がゆらゆらする~と訴えていたムスメでしたが、
私が着替え等を持って病室に着いた時にはもう、
言葉を発する力さえ残っておりませんでした…。
ウサギのように真っ赤に充血し、高熱で力を失った目を向けてくれ、
“ママ、来たのね”
と私に伝えてくれているのはわかりました…
血液検査で高いCRP値(=血中の炎症度合いを表す数値。正常値は0.5以下)、肝機能値が出ており、
体には黄疸が見られ、体を起こすことも水分を取ることも難しく、
顔も一回りも二回りも小さくなっていました
口にするのは舌を濡らす程度のお水と、小さな小さな氷のみ。
呼吸も浅く早く、生きているのか心配でシンパイで!!!
脱水症状を防ぐための水分の点滴と、
肝機能の悪い数値からアスピリンが使えないので、代わりの フロベン を投与。
続いてγグロブリンが点滴で投薬され始めましたが、
これが難関!
とても濃度の高い薬剤なので、
すぐに点滴機械の警告音が鳴って、うまく静脈に入らなくなってしまいます。
ただでさえ小さな子供の点滴は目が離せない上、
すぐに止まってしまう点滴に、
付き添ったダンナちゃんは一晩中眠れず腕を抑えたりしていたそうです…。
それでも何度か針が外れてしまい、
その度に私に似て細くて逃げる血管に針を立てられ&ぐりぐり血管を探され、
点滴治療との戦いでした。
(ゴメンネ、ママに似てしまったのね…)
入院初日の晩は、
心拍数、血中酸素値、血圧、すべてが危険な状態で、
看護婦さんたちも心配していたそうです。
発熱からたった4日で変わり果ててしまったムスメの姿、
現実のものとは思えませんでした---
その晩、ダンナちゃんにムスメを託して家に帰りましたが、
弱り切ってトイレを訴えることすらできないムスメが濡らした
いくつもの小さなパンツを抱きしめていると、
それだけがムスメが生きている確かな証拠に思えて
愛しくて愛しくて、抱きしめては泣いていました…
4年ちょっと、ムスメが生まれて初めて、一人眠る夜でした。
5日目 (CRP値15以下に)
一晩、生きた心地もせずやり過ごし、病室に駆けつけると、
お昼過ぎに、1回目のγグロブリン投与が終了。
体が起こせるように回復し、ゼリー等少しだけ食事も摂れるように!
“きのうね、ママきたの?っていいたかったんだけど、じゃべれなかったの”
と、弱々しい声ながらお話も出来るように(涙)。
話が出来るようになると、首のリンパの痛みを訴えるようにも。
髪の毛が一本触れるだけでも悲鳴をあげるほどの激痛…
かわいそうで見ていられないほど
心配顔でムスメを見つめていると、
体力も残っていないであろうムスメは、それでもニッコリと笑いかけてくれます。
どうして、あんなに健康が取り柄だった丈夫なあなたが
突然、こんな病になってしまったの!!!
熱が下がり、CRP値も下がったので治療が功奏したかと思うも、
夕方から 再度、発熱…
6日目 (CRP値15.7)
一度のγグロブリンでは解熱できず、再度、同量のγグロブリン投与をすることに。
正午から、2回目の投薬 開始。
肝機能値は改善したので、1日3回の アスピリン経口投与 になる。
が、依然熱は下がらず、とうとう 42℃近く にまで…
息が上がり、苦しそうなムスメ。
このままだめなのではないかと、考えたくもない考えも頭をよぎります…
後ろ髪をひかれながら帰宅。
7日目 (CRP値19.6←病中の最高値)
2回目のγグロブリン治療が終わるも、まったく解熱せず。
炎症値は入院時よりも上がり、γグロブリン不応症 と告げられる。
沢山のドクターを引き連れた主治医が、“久しぶりの不応症です…”
と肩を落として話す姿に、奈落の底に落とされたように目の前が真っ暗に!!!
病室からの帰り道、
ムスメがもしだめだったとしたら、私はどうやって後を追おうかと、
お腹に命を宿しながらも最早それしか考えられず、
泣きながらなんとか家に辿り着きました…
毎日、1時間余りをかけて病室まで通勤し、汚れ物を洗濯しに帰り、
ムスメに付き添うだけでいっぱいいっぱいの私たちは、
川崎病の治療法について、γグロブリンとアスピリン以外の治療法を知りませんでした。
主治医からは、翌日から次のステップとして一般的な
ステロイド・パルス療法を行うと告げられました。
その他の選択肢を知らない我々は、
急ぎセカンドオピニオンを聞くべく、親戚の紹介で小児心臓外科の権威にアポイントを取り、
翌日、ムスメの病室に行く前に重いお腹を抱えて
必死の思いで話を伺ってきました。
8日目 (CRP値16)
セカンドオピニオンを伺って心を決め、1回目の大量ステロイド投与 開始。
と同時に、大部屋の小児病棟にお引越し。
ムスメ、個室から異動させられ怒りMAX!
どこにそんな元気があったのか、泣き叫んで抵抗!!!
環境が変わることが不安で仕方なかったのでしょう…
そしてこの晩から、親が付き添う代わりに保育士さんが見てくれることに。
発病から丸1週間、
看病する側の体力はすでに限界に近かったので有難いことでしたが、
親子離れて過ごす夜は初めての経験で、
この日からムスメはものすごいクマを目の下に作ることになります…
点滴によるステロイド投与は、2時間。
熱が40℃以下、CRP値も少し下がり、効果が見られ始める。
食事も、ご飯少しとゼリーが摂れるように。
9日目 (血液検査なし)
夜の親の付き添いがなくなり、
一人、朝から沢山のドクターたちに囲まれて採血や点滴(=大嫌いなチクン)を受けるムスメ。
どんなに不安fだったことでしょうか…
午前中2時間、2回目の大量ステロイド投与。
体温は、36~37℃台に落ち着く。
体温低下と共に、ムスメもベッドで起き上がれる時間が徐々に増えてきました。
10日目 (CRP6.9)
午前中2時間、3回目(最後)の大量ステロイド投与。
この日はちょうど、治療の第一目標である
“急性期(=発病から10日)に冠動脈障害を出さないこと”
を調べるため、専門医による心エコー検査 が行われる日です。
発病から10日、通勤と看病から私の疲れはピークとなり、
目がかすみ、体中がむくんで起き上がれない状態でした。
皆さんの応援を受け、何とか病室までダンナちゃんに送ってもらい、
ムスメの検査に付き添いました。
<ママ効果>から全身麻酔をせずに検査を終わらせることが出来、
検査結果も、血管拡張すらみられず極めて良好でした!!!
大量ステロイドに踏み切ったおかげで、
この日の炎症値も格段に下がり、ようやく希望の光が見えはじめました!
が、病室の自動ドアを抜けて帰路についた瞬間から私の体調が芳しくなくなり、
乗換駅の大手町で倒れ、私もまた、救急車に乗ることになるとは…
深夜、掛かりつけの産科で診てもらうと、お腹の子は無事、
しっかりしがみついてくれています!
ありがとう…
11日目
この日から、少量の ステロイド経口剤 にかわりました。
ステロイドは急には止められないとのこと、
様子を見ながら10日あまりかけて徐々に量を減らしていきました。
ステロイドの影響で顔がむくみ、またご飯や甘いものを欲するように。
この10日で目が落ち窪むほど痩せ細ってしまったので、
毎日こっそりいろいろな物を持ち込んでしまいました。
この病は、食事制限はありません。
食べたいものを食べさせていいのですが、
やはり病院のお食事は口に合わないようで…
(減塩&低カロリーの健康食、ニンプがありがたく頂いておりました^^)
12日目~14日目 (CRP2.5)
ステロイドの量が減ったことでお熱がシンパイでしたが、
37℃台の微熱にとどまり、
徐々に食欲も回復。
まだまだ目の充血と唇の赤みは見られるものの、
首のリンパのしこりは小さくなり、回復期の特徴である手の皮の剥けもみられるように。
ようやく点滴の針がとれ、
日中、気分がいいとお絵かきやシール貼り、粘土遊びをし始める。
夜、こまめに目が覚めてしまうようで、
目の下にクマが。
保育士さんによると、夜、ママを思い出してわーっと泣いて
何度も起きてしまうそう。
そうすると、ベッドの中の小さなテーブルに向かってママへのお手紙を書いて
心を落ち着けて再び眠りにつくムスメ。
翌日会いに行くとまず、ママに5~6通のかわいい絵をくれます。
絵手紙が厚いほど、
こんなに夜中、目を覚まして泣いていたのかと、切なくなります…。
夜は、ムスメの寝かされているベビーベッドの高い柵を上げて、
不安と悲しさですがるムスメを置いてお別れしなければなりません。
少し元気が出てきたからこそではありますが、
親子にとって、治療の試練です…
15日目~23日目 (CRP2.6)
体温は、依然37℃台。
経口ステロイドを減らす度、少々熱が上がる。
薬が効いている証拠とはいえ、止められるのか不安にも…
一日中ベッドの上で過ごしていたのが、
徐々にベッドから降りたり、プレイルームで遊べるように。
同室の子供たちとも遊べるように。
まだまだ目の充血もあり、目力はないが、
笑顔が戻ってきたのは親として何よりほっとする!
発熱21日目ごろから、
左手に赤みと腫れがあり、本人が痛がり始める。
続いて右足を痛がり、かばうように歩くように。
ドクターに何度も相談するも、
川崎病とは関係ない、ベッドで打ったのか?と言われる。
疑問に思いネットで調べると、
高熱の出る急性期に、関節痛 が出る症例が多くあることがわかる。
一過性のもので、病状の回復と共に治っていくというので
様子を見ることに。
ドクターたちが関節痛の合併症を認識していないことに、若干の不信感。
24日目 (3・11退院)
前日でステロイド投薬を終え、
心エコーの結果、何の後遺症も出ていないということで、この日退院に!
ただし、直近の血液検査でのCRP値は依然2.6と正常値には及ばず、
熱も37℃前半あったり、目の充血も一部とれていなかったりと
親としてはまだまだ不安な状態の中での退院。
ドクターから、退院後の注意事項 を下記のように聞かされる。
① 1週間後に心エコー検査を行う
② アスピリン投与は量を今までの1/3にし、1か月ほど続く。
血が凝固しにくくなるので、出血した際はきつめに止血すること。
また、インフルエンザ時に服用すると脳症になる可能性があるため、
発熱時は直ちに服用を止めること。
③ γグロブリン治療の影響で抗体が体に出来ないので、
半年間は予防接種は不可。
また、γグロブリンは水痘との相性がよくないので気を付けること。
④ 後遺症は見られないので、運動制限・生活制限はなし
最後に、“川崎病急性期カード” というピンクのカードを受領しました。
これには、川崎病にかかった時の症状、治療内容、心臓合併症の有無 などが書かれており、
母子手帳に挟んで保管することを勧められました。
最後に、ほっとした表情の主治医の一人に言われました。
“ムスメさんは、この5年間見た中で一番症状が重かったです。
ですが、症状は派手でも後遺症が出なかったのは本当によかった”
と。
この言葉を、やはり…と思いながらもほっとした安堵の気持ちで伺いました。
0~1歳児に多い病気なので、年齢が上がれば上がるほど
炎症も重症化する確率が上がるそうです。
そして 3月11日 正午、
私たちはお会計を済ませてお天気の下、晴れやかな気持ちで病院を後に致しました♪
(気になるお会計は…すべて保険適用治療且つ、子供医療費助成制度により、
お食事代&シーツ代のみで済みました!私の健診の方がよっぽど費用がかかっています~。
と同時に、アメリカでの治療ではなくて本当によかった!!!
アメリカでは費用も莫大ですが、γグロブリン治療をして2~3日で退院させられるそうです…オソロシイ…)
そしてムスメが一番食べたかったピッツァでささやかな退院祝いランチをすませ、
家路につく途中の 14:46 @銀座4丁目交差点
ハリウッドのパニック映画さながら、恐怖におびえる人が溢れ出る銀座のど真ん中、
未曽有の被害をもたらした大震災に遭遇したのでした…
そして震災後の不便で不安な生活の中、
親の直観は的中、
まだまだムスメの闘病も続くことになってしまいました…
~出産が入らなければ、
次回、退院後の経過と治療について追記しようと思います~
ドキドキ…
ハイレベルな <おもてなし料理部門> で奮闘中の 6位 です!
いつも貴重な応援クリックを頂き、心からありがとうございます
日々の元気の源デス☆

派手ではありますがおそらくおしるし?
お産が計画通りに進むのか…はたまた陣痛が来てしまうのか…
ドキドキの夜を迎えております!
というわけで、急ぎ闘病記をまとめます。
(我が子の話なのでたっぷり主観が入ってしまうこと、何卒ご了承くださいませ!)
入院中のムスメの経過発熱後4日目 (CRP値15.6)
お昼に大学病院に搬送されたムスメは、
まずはアデノウィルス、ECウィルス検査を受けましたが、共に陰性。
まずは個室に入院となり、
免疫グロブリン治療の説明を受け、同意書にサインをし、
投薬の準備を待ちます。
この日も朝から40℃台の熱があり、体がゆらゆらする~と訴えていたムスメでしたが、
私が着替え等を持って病室に着いた時にはもう、
言葉を発する力さえ残っておりませんでした…。
ウサギのように真っ赤に充血し、高熱で力を失った目を向けてくれ、
“ママ、来たのね”
と私に伝えてくれているのはわかりました…
血液検査で高いCRP値(=血中の炎症度合いを表す数値。正常値は0.5以下)、肝機能値が出ており、
体には黄疸が見られ、体を起こすことも水分を取ることも難しく、
顔も一回りも二回りも小さくなっていました

口にするのは舌を濡らす程度のお水と、小さな小さな氷のみ。
呼吸も浅く早く、生きているのか心配でシンパイで!!!
脱水症状を防ぐための水分の点滴と、
肝機能の悪い数値からアスピリンが使えないので、代わりの フロベン を投与。
続いてγグロブリンが点滴で投薬され始めましたが、
これが難関!
とても濃度の高い薬剤なので、
すぐに点滴機械の警告音が鳴って、うまく静脈に入らなくなってしまいます。
ただでさえ小さな子供の点滴は目が離せない上、
すぐに止まってしまう点滴に、
付き添ったダンナちゃんは一晩中眠れず腕を抑えたりしていたそうです…。
それでも何度か針が外れてしまい、
その度に私に似て細くて逃げる血管に針を立てられ&ぐりぐり血管を探され、
点滴治療との戦いでした。
(ゴメンネ、ママに似てしまったのね…)
入院初日の晩は、
心拍数、血中酸素値、血圧、すべてが危険な状態で、
看護婦さんたちも心配していたそうです。
発熱からたった4日で変わり果ててしまったムスメの姿、
現実のものとは思えませんでした---
その晩、ダンナちゃんにムスメを託して家に帰りましたが、
弱り切ってトイレを訴えることすらできないムスメが濡らした
いくつもの小さなパンツを抱きしめていると、
それだけがムスメが生きている確かな証拠に思えて
愛しくて愛しくて、抱きしめては泣いていました…
4年ちょっと、ムスメが生まれて初めて、一人眠る夜でした。
5日目 (CRP値15以下に)
一晩、生きた心地もせずやり過ごし、病室に駆けつけると、
お昼過ぎに、1回目のγグロブリン投与が終了。
体が起こせるように回復し、ゼリー等少しだけ食事も摂れるように!
“きのうね、ママきたの?っていいたかったんだけど、じゃべれなかったの”
と、弱々しい声ながらお話も出来るように(涙)。
話が出来るようになると、首のリンパの痛みを訴えるようにも。
髪の毛が一本触れるだけでも悲鳴をあげるほどの激痛…
かわいそうで見ていられないほど

心配顔でムスメを見つめていると、
体力も残っていないであろうムスメは、それでもニッコリと笑いかけてくれます。
どうして、あんなに健康が取り柄だった丈夫なあなたが
突然、こんな病になってしまったの!!!
熱が下がり、CRP値も下がったので治療が功奏したかと思うも、
夕方から 再度、発熱…
6日目 (CRP値15.7)
一度のγグロブリンでは解熱できず、再度、同量のγグロブリン投与をすることに。
正午から、2回目の投薬 開始。
肝機能値は改善したので、1日3回の アスピリン経口投与 になる。
が、依然熱は下がらず、とうとう 42℃近く にまで…
息が上がり、苦しそうなムスメ。
このままだめなのではないかと、考えたくもない考えも頭をよぎります…
後ろ髪をひかれながら帰宅。
7日目 (CRP値19.6←病中の最高値)
2回目のγグロブリン治療が終わるも、まったく解熱せず。
炎症値は入院時よりも上がり、γグロブリン不応症 と告げられる。
沢山のドクターを引き連れた主治医が、“久しぶりの不応症です…”
と肩を落として話す姿に、奈落の底に落とされたように目の前が真っ暗に!!!
病室からの帰り道、
ムスメがもしだめだったとしたら、私はどうやって後を追おうかと、
お腹に命を宿しながらも最早それしか考えられず、
泣きながらなんとか家に辿り着きました…
毎日、1時間余りをかけて病室まで通勤し、汚れ物を洗濯しに帰り、
ムスメに付き添うだけでいっぱいいっぱいの私たちは、
川崎病の治療法について、γグロブリンとアスピリン以外の治療法を知りませんでした。
主治医からは、翌日から次のステップとして一般的な
ステロイド・パルス療法を行うと告げられました。
その他の選択肢を知らない我々は、
急ぎセカンドオピニオンを聞くべく、親戚の紹介で小児心臓外科の権威にアポイントを取り、
翌日、ムスメの病室に行く前に重いお腹を抱えて
必死の思いで話を伺ってきました。
8日目 (CRP値16)
セカンドオピニオンを伺って心を決め、1回目の大量ステロイド投与 開始。
と同時に、大部屋の小児病棟にお引越し。
ムスメ、個室から異動させられ怒りMAX!
どこにそんな元気があったのか、泣き叫んで抵抗!!!
環境が変わることが不安で仕方なかったのでしょう…
そしてこの晩から、親が付き添う代わりに保育士さんが見てくれることに。
発病から丸1週間、
看病する側の体力はすでに限界に近かったので有難いことでしたが、
親子離れて過ごす夜は初めての経験で、
この日からムスメはものすごいクマを目の下に作ることになります…
点滴によるステロイド投与は、2時間。
熱が40℃以下、CRP値も少し下がり、効果が見られ始める。
食事も、ご飯少しとゼリーが摂れるように。
9日目 (血液検査なし)
夜の親の付き添いがなくなり、
一人、朝から沢山のドクターたちに囲まれて採血や点滴(=大嫌いなチクン)を受けるムスメ。
どんなに不安fだったことでしょうか…

午前中2時間、2回目の大量ステロイド投与。
体温は、36~37℃台に落ち着く。
体温低下と共に、ムスメもベッドで起き上がれる時間が徐々に増えてきました。
10日目 (CRP6.9)
午前中2時間、3回目(最後)の大量ステロイド投与。
この日はちょうど、治療の第一目標である
“急性期(=発病から10日)に冠動脈障害を出さないこと”
を調べるため、専門医による心エコー検査 が行われる日です。
発病から10日、通勤と看病から私の疲れはピークとなり、
目がかすみ、体中がむくんで起き上がれない状態でした。
皆さんの応援を受け、何とか病室までダンナちゃんに送ってもらい、
ムスメの検査に付き添いました。
<ママ効果>から全身麻酔をせずに検査を終わらせることが出来、
検査結果も、血管拡張すらみられず極めて良好でした!!!
大量ステロイドに踏み切ったおかげで、
この日の炎症値も格段に下がり、ようやく希望の光が見えはじめました!
が、病室の自動ドアを抜けて帰路についた瞬間から私の体調が芳しくなくなり、
乗換駅の大手町で倒れ、私もまた、救急車に乗ることになるとは…
深夜、掛かりつけの産科で診てもらうと、お腹の子は無事、
しっかりしがみついてくれています!
ありがとう…
11日目
この日から、少量の ステロイド経口剤 にかわりました。
ステロイドは急には止められないとのこと、
様子を見ながら10日あまりかけて徐々に量を減らしていきました。
ステロイドの影響で顔がむくみ、またご飯や甘いものを欲するように。
この10日で目が落ち窪むほど痩せ細ってしまったので、
毎日こっそりいろいろな物を持ち込んでしまいました。
この病は、食事制限はありません。
食べたいものを食べさせていいのですが、
やはり病院のお食事は口に合わないようで…
(減塩&低カロリーの健康食、ニンプがありがたく頂いておりました^^)
12日目~14日目 (CRP2.5)
ステロイドの量が減ったことでお熱がシンパイでしたが、
37℃台の微熱にとどまり、
徐々に食欲も回復。
まだまだ目の充血と唇の赤みは見られるものの、
首のリンパのしこりは小さくなり、回復期の特徴である手の皮の剥けもみられるように。
ようやく点滴の針がとれ、
日中、気分がいいとお絵かきやシール貼り、粘土遊びをし始める。
夜、こまめに目が覚めてしまうようで、
目の下にクマが。
保育士さんによると、夜、ママを思い出してわーっと泣いて
何度も起きてしまうそう。
そうすると、ベッドの中の小さなテーブルに向かってママへのお手紙を書いて
心を落ち着けて再び眠りにつくムスメ。
翌日会いに行くとまず、ママに5~6通のかわいい絵をくれます。
絵手紙が厚いほど、
こんなに夜中、目を覚まして泣いていたのかと、切なくなります…。
夜は、ムスメの寝かされているベビーベッドの高い柵を上げて、
不安と悲しさですがるムスメを置いてお別れしなければなりません。
少し元気が出てきたからこそではありますが、
親子にとって、治療の試練です…
15日目~23日目 (CRP2.6)
体温は、依然37℃台。
経口ステロイドを減らす度、少々熱が上がる。
薬が効いている証拠とはいえ、止められるのか不安にも…
一日中ベッドの上で過ごしていたのが、
徐々にベッドから降りたり、プレイルームで遊べるように。
同室の子供たちとも遊べるように。
まだまだ目の充血もあり、目力はないが、
笑顔が戻ってきたのは親として何よりほっとする!
発熱21日目ごろから、
左手に赤みと腫れがあり、本人が痛がり始める。
続いて右足を痛がり、かばうように歩くように。
ドクターに何度も相談するも、
川崎病とは関係ない、ベッドで打ったのか?と言われる。
疑問に思いネットで調べると、
高熱の出る急性期に、関節痛 が出る症例が多くあることがわかる。
一過性のもので、病状の回復と共に治っていくというので
様子を見ることに。
ドクターたちが関節痛の合併症を認識していないことに、若干の不信感。
24日目 (3・11退院)
前日でステロイド投薬を終え、
心エコーの結果、何の後遺症も出ていないということで、この日退院に!
ただし、直近の血液検査でのCRP値は依然2.6と正常値には及ばず、
熱も37℃前半あったり、目の充血も一部とれていなかったりと
親としてはまだまだ不安な状態の中での退院。
ドクターから、退院後の注意事項 を下記のように聞かされる。
① 1週間後に心エコー検査を行う
② アスピリン投与は量を今までの1/3にし、1か月ほど続く。
血が凝固しにくくなるので、出血した際はきつめに止血すること。
また、インフルエンザ時に服用すると脳症になる可能性があるため、
発熱時は直ちに服用を止めること。
③ γグロブリン治療の影響で抗体が体に出来ないので、
半年間は予防接種は不可。
また、γグロブリンは水痘との相性がよくないので気を付けること。
④ 後遺症は見られないので、運動制限・生活制限はなし
最後に、“川崎病急性期カード” というピンクのカードを受領しました。
これには、川崎病にかかった時の症状、治療内容、心臓合併症の有無 などが書かれており、
母子手帳に挟んで保管することを勧められました。
最後に、ほっとした表情の主治医の一人に言われました。
“ムスメさんは、この5年間見た中で一番症状が重かったです。
ですが、症状は派手でも後遺症が出なかったのは本当によかった”
と。
この言葉を、やはり…と思いながらもほっとした安堵の気持ちで伺いました。
0~1歳児に多い病気なので、年齢が上がれば上がるほど
炎症も重症化する確率が上がるそうです。
そして 3月11日 正午、
私たちはお会計を済ませてお天気の下、晴れやかな気持ちで病院を後に致しました♪
(気になるお会計は…すべて保険適用治療且つ、子供医療費助成制度により、
お食事代&シーツ代のみで済みました!私の健診の方がよっぽど費用がかかっています~。
と同時に、アメリカでの治療ではなくて本当によかった!!!
アメリカでは費用も莫大ですが、γグロブリン治療をして2~3日で退院させられるそうです…オソロシイ…)
そしてムスメが一番食べたかったピッツァでささやかな退院祝いランチをすませ、
家路につく途中の 14:46 @銀座4丁目交差点
ハリウッドのパニック映画さながら、恐怖におびえる人が溢れ出る銀座のど真ん中、
未曽有の被害をもたらした大震災に遭遇したのでした…
そして震災後の不便で不安な生活の中、
親の直観は的中、
まだまだムスメの闘病も続くことになってしまいました…

~出産が入らなければ、
次回、退院後の経過と治療について追記しようと思います~
ドキドキ…

ハイレベルな <おもてなし料理部門> で奮闘中の 6位 です!
いつも貴重な応援クリックを頂き、心からありがとうございます

日々の元気の源デス☆
