25年の歳月を経たいま、雅子さまの産婦人科の主治医であった堤治医師が明かす真実の記録の記事を取り上げます。
皇后雅子さまが東宮妃であった平成の時代。雅子さまの産婦人科の主治医であった堤治医師が、愛子さま誕生までを見守り続けた記録を著書『愛子さま誕生までの300日 堤ノート』(小学館)にまとめました。当時の社会的な「常識」にとらわれず、信念を貫いた陛下と雅子さま。それによって逆風が吹くこともありました。
「次、生まれますよ」
そう、堤医師がお伝えすると、雅子さまはしっかりと頷いて、最後のいきみに全力で取りかかられました。
宮内庁病院のLDR(分娩室)では、分娩監視装置から規則正しい心拍音が聞こえてくるだけで、その時を待って静まり返っていました。 児頭に続いて肩が出かかったそのとき、愛子さまの産声が響きました。

2001年12月1日午後2時42分、雅子さまは内親王さまを出産されました。安産でした。
「愛子さまはとてもお元気で、大きな産声は宮内庁病院中に響き渡るようでした。皆の緊張が解け、思わず笑顔に誘われる瞬間でもありました」
病院中が明るい空気に包まれた当時を思い出すように、堤医師はほほ笑みました。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
雅子さまは、すぐに愛子さまを腕に抱きました。そのとき愛子さまに贈った言葉は、あまりにも有名です。皇太子であった陛下は、堤医師の案内でLDR室に入りました。
「ごくろうさん」
その言葉に、雅子さまは最高の笑顔で答えられたそうです。

ぎこちない手つきで、愛子さまを抱っこする陛下。肩に力も入り過ぎてしまっています。それでも、愛子さまを見つめ大きな喜びをかみしめる陛下の表情と仕草。そのひとコマひとコマを、いまも堤医師は鮮明に記憶していました。

振り返れば、雅子さまの懐妊から出産までのおよそ300日間は、堤医師にとって波乱万丈の日々でした。雅子さまの妊娠が診断されたあと、最も頭の痛い課題は、分娩予定日のマスコミへの情報流失を防ぐことでした。
というのも1999年に、雅子さまの懐妊を朝日新聞が朝刊でスクープとして報じ、朝6時にはNHKが懐妊に加え、「妊娠5週目」であることや分娩予定日まで報じたことがあったからです。数週間後、東宮御所は悲しみに包まれました。
「責められるべきは情報をリークした人間であり、特定のマスコミを責めるつもりはありません。ただ、メディアの後ろには国民がいるわけで、情報を正しく伝えることは重要です。表現が難しいですが、天皇や皇族方を守るべき存在である宮内庁が守り切れないという姿勢ではいけないと思ったのです」
愛子さまがお腹に宿ったとき、堤医師は陛下と雅子さまがおそろいの場で分娩予定日を説明し、「ご指示がない限り、私から予定日を公表することは控えます」と伝えました。陛下は、無言で頷いたそうです。

堤医師の首筋に冷たい汗が流れた場面が、二度ほどありました。ひとつは、堤医師を東宮職の御用掛という立場に推薦してくれたひとりである、川口政行東宮侍医長を前にしたときでした。予定日を誰にもお伝えしないと決断した堤医師は、侍医長に聞かれても、「両殿下にはご報告申し上げています」の一点張りで通したそうです。
しかし、誰よりも雅子さまの懐妊を喜び、ご出産を楽しみにしていたのも、侍医長でした。当然、機嫌をそこね、ついには口もきいてくれなくなったそうです。堤医師は、侍医長の自宅をたずね、お詫びを伝えた。それでも決して明かさなかったそうです。

「先生の立場上、お聞きになると上司に報告をせざるを得ないでしょう。その先は言わせないでください」
ついに、頑固で知られた侍医長の口から出たのが、「君も頑固だね」という言葉。今では懐かしい思い出となりました。
より深刻だったのは、当時の天皇陛下への報告でした。東宮職御用掛として、ご懐妊の経過が順調であることはすでにご報告をしていました。そしてついにその場面が訪れます。
「それで、予定日は?」
当時の天皇陛下より、ご質問を賜ったのです。堤医師は、戸惑いのあまり、淀みなかったご説明が途切れました。しばしの沈黙のあと、やっとの思いで答えました。
「予定日については、両殿下に申し上げております。両殿下からお聞きいただけますでしょうか」
無作法についてお詫びのしようがない。しかし、両殿下とのお約束を守ることで、精いっぱいだったのです、と堤医師は当時を振り返りました。
記事より抜粋しました。
両陛下の秘密を かなくなに守り通した堤医師。これ以上 両陛下を悲しませないためのご配慮でした。愛子さまの誕生まで いろいろありすぎた経緯を思えば 堤医師には感謝しかありません。愛子さまのご誕生は日本の希望であります。
【愛子さまご誕生の舞台裏】
高市首相の被爆者団体の代表らとの面会の様子の記事を取り上げます。
高市早苗首相は8月9日、長崎市の平和公園で開催された長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に出席。その後、長崎市内のホテルで被爆者団体の代表らと面会し、非核三原則の順守、法制化などを求める要望書を受け取りました。
面会の様子はインターネット番組「ニコニコニュース」で中継され、締めくくりの挨拶の中で
「我が国は、非核三原則を堅持しております。核兵器のない世界に向けた現実的かつ実践的な取り組みを積み重ねてまいります」
と 語った高市氏。6日の広島市での会見に続き、長崎でも平和祈念式典での挨拶と同じく、将来の方向性を示さない現状説明のみの表現にとどまりました。 高市氏の挨拶に注目が集まる中、一部SNSでは要望を聞く高市氏の表情や仕草も波紋を呼んでいて 注目を集めたのは、一般財団法人長崎原爆被災者協議会の田中重光会長が次のように語った場面でした。

「最後に、今日、高市総理大臣は長崎の原爆資料館を見学されました。今、国会議員の中で、戦争体験者や戦争を知らない人たちが大部分を占めています。是非、お帰りになったら、広島、長崎の原爆資料館を見学されることをお勧めください。ありがとうございました」
『ニコニコニュース』の中継では、この場面で高市氏の姿をクローズアップ。田中会長が要望を読み上げている間、高市氏は手元の要望書に目を通しながら耳を傾けていました。その際、口を真一文字に結んだ真剣な表情を浮かべていましたが、時折、田中会長の方に鋭い視線を投げかける場面も。
場所を考えると笑顔で話を聞く場所ではないですし、シリアスな場面で高市氏の“通常営業”というように見えました。Xではこの場面を切り取った動画が拡散し、一部の人たちからは高市氏の表情や仕草に対してこんな疑問の声が(以下、《》内はすべて原文ママ)。
《人の話を聞く態度ではない》
《トランプとかと会ってる時と全然表情が違うよな 》
《プロモビデオと並べたい》
こうした声は、野党の政治家や著名人からも上がっていました。 前衆議院議員で中道改革連合の小沢一郎氏(84)は、
《絶対に総理にしてはいけない人物を、総理にしてしまった。もはや取り返しがつかない。目は口ほどに物を言う》
と呟いていました。 立憲民主党の杉尾秀哉参院議員も《悲しい・・・》とポツリ。 さらに芥川賞作家の平野啓一郎氏も《こんな態度、あるのか? どうかしてる》と疑問視しました。
被爆者団体の要望を聞く首相の姿勢に厳しい声が上がっていますが、近年で首相を務めた岸田文雄氏や石破茂氏も、高市氏の振舞いとは大きな差はなかったように感じます。 長崎での事例ではありますが、岸田氏は一昨年8月に被爆者団体の代表らと面会しています。
代表者が要望の趣旨を説明している間、要望書に目を通しながら、真剣な表情で耳を傾けていました。 石破氏は代表者が要望の趣旨を説明している間、資料に目を通すといった仕草はなかったものの、両手を組んで代表者をじっと見つめながら話を聞く姿が印象的でした。
ではなぜ、高市氏に限って表情や仕草に批判が集まってしまったのでしょう?一部SNSで声が上がっているように、田中会長の要望に耳を傾ける高市氏の視線は鋭く、険しい表情に映ったという人もいたようです。
ただ、決して寝たり、興味なさげに聞いていた様子はなく、高市氏は面会終了後、いち早く各代表者のもとに駆け寄り、一人ひとりと挨拶を交わしていました。椅子に座っている代表者の目線の位置まで腰を落とすなど、細やかな気配りも印象的でした。
一方、高市氏は首相就任以降、トランプ米大統領(80)など各国首脳陣との会談で見せた“ハイテンション”も注目を集めてきました。歴代首相と比べて公の場での感情表現が豊かであることから、表情や仕草の差は目立ちやすいように思います。
また、高市政権の支持率は5月以降、各メディアの世論調査で下落傾向にあります。首相官邸は8月3日、高市氏が地震で被災した熊本県を視察したことを伝える動画をSNSで公開しました。
しかし、BGMやカット割りなどの演出に、“PVのよう”と批判が続出。高市氏の一挙手一投足に注目が集まるなか、被爆者団体と面会する様子も否定的に捉えられてしまったのかもしれません。
記事より抜粋しました。
国民が求めている政治とは逆路線を邁進している首相です💦戦争ができる国が強くて素晴らしいのではないのです。戦わず 世界貢献しながら地道に信頼を獲得していくことが日本が生き残る道だと考えます。
これは酷すぎ。というか、本当に悲しくなります。これが唯一の戦争被爆国であるわが国の首相。pic.twitter.com/gcCIvvbksB
— 南野 森(MINAMINO Shigeru) (@sspmi) August 9, 2026
【戦争の悲惨さに向き合わない姿勢は総理の器ではない】
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岐阜県高山市丹生川町では10万本のヒマワリが見ごろを迎えています。
高山市丹生川町のほおのき平スキー場ではオフシーズンの夏の間ゲレンデを活用しようと「天空のひまわり園」として営業しています。
ゲレンデには背丈が低い50cmほどの「パチノゴールド」という品種のヒマワリ10万本が植えられています。
今年はお盆休みに合わせるように例年よりも1週間ほど早く見ごろを迎え、黄色い絨毯で埋めつくしたような美しい風景を見せています。 標高1200mにあることから、訪れた人たちは涼しさを感じつつ、思い思いに散策していました。
「天空のひまわり園」は8月30日まで営業しています。
ゲレンデに ひまわりって良いアイデアですね🌻
冬になると雪景色になってしまうって
想像ができない美しさです![]()


