人生の主人公は自分
自分にスポットライトを
私はこんな人です![]()
聖書には
人間のことを羊に例え
神さまのことを羊飼いに例えて
書かれている箇所がたくさんある。
有名な言葉に
主は私の羊飼い。
私は乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ
いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、
私の頭に油をそそいでくださいます。
私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、
私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。
詩篇23篇
この聖句はとっても有名で
私が小学生の時に
暗唱聖句で覚えたもの。
人間は羊のようだ。
と言われても
ピンとこない人が多いのでは
と思う。
羊というのがどんな性格で
どんな性質の生きものなのか。
身近ではないからね。
・ヒツジは非常に群れたがる性質をもち、
群れから引き離されると強いストレスを受ける。
・また、先導者に従う傾向がとても強い。
(その先導者はしばしば単に
最初に動いたヒツジであったりもする)。
これらの性質は家畜化されるにあたり、
非常に重要な要素であった。
・捕食者がいない地域の在来種は、
強い群れ行動をおこさない。
・ヒツジにとって、危険に対する防御行動は
単純に危険から逃げ出すことである。
・ストレスに直面するとすぐに逃げ出しパニックに陥るので、
初心者がヒツジの番をするのは難しい。
WIKIPEDIAより抜粋
群れをなす性質。。。。。。
これは特に日本人の特性と
似ているところがあると思う。
学校では集団教育が重視されていたし、
人と違うことをしていたら
仲間はずれにされたり
先生からは注意されたり
することもあったと思う。
昔よりは個を大事にするようになってきた
ところもあるけれど
今の現状を見ると
見事にみんなマスクをしていて
おかしいと思う人も
中にはいるけど
みんながやっているから
という気持ちで
マスクを付けている人も
少なくない。
あるいは
上の権威や強い人に従う傾向が。。。
これも戦後教育で
従うことが善で
上に従わないのは悪いこと
と教えられてきている。
他の国に比べて
暴動もほとんどない。
3年ほど前に
トルコで起こった
500頭ほどの羊の集団が
次々と崖から飛び降り、
集団で自死するという事件があって
羊の群れの内の1頭が
突然崖から飛び降りた後
残ったすべての羊がその後を追い、
羊飼いがどんなに止めてもダメだったとか。
キリスト教では
神さまは羊飼いであり
羊は神さまの声に従っていないと
さまよい迷って、死に至るおそれがある。
羊は愚かな生きものだから。。。
と教えられている。
WIKIPEDIAで
羊のことを調べて
在来種の羊は群れない。
とあるではないか。
※画像はお借りしました。
捕食者がいない地域とはあるけど。
家畜化されたものが
群れる。。。。。
日本人のことを
家畜と呼んでいる
人たちもいる。
気になる人は
調べてね。。。
いっぱい出てるよ。
私は正直
聖書の言葉がすべて
信じるに値するものなのか
最近は疑問に思っている。
さまよう羊
というのは
家畜化されたからではないのか。
在来種の羊はさまよわない。
家畜の羊=人間
として聖書に書かれているとしたら
微妙な気持ちになる。。。
自分はどっちの羊でありたいか。
(羊である必要はないけど)
家畜化された羊なのか
在来種の野生の羊でありたいか。
選べると私は思う。
従うこと自体が悪い
ということではなく
ちゃんと
自分で調べて
自分で感じて
自分で決める
自分で選ぶ
のが大事ということ。
盲目的に従う
ということが
この集団飛び降り死した羊のように
危険なのでは、ということ。
従順も
度が過ぎると
奴隷状態になる。
自分は誰の奴隷にもならない。
硬い話になったけど
在来種の羊は群れない。
これを知って
また一つ勉強になりました。



