「続けられるかな」
「ついていけるかな」
何かを始める前に考え込んでしまって
時間だけ過ぎてしまうこと、ありませんか。
その不安、もう少し深掘りしてみると、
「できないかも」じゃなくて
「できない自分を見せたくない」という気持ちが
根底にあったりします。
私も、自分自身のそういう気持ちに気づくことがあります。
今日は、そんな話を書きたいと思います。
「不安」には、表の顔と裏の顔がある
何かを始めようとするとき、
頭に浮かぶ言葉があります。
「続けられるかな」
「周りについていけるかな」
「途中で挫折したらどうしよう」
これらはどれも、
もっともらしい不安に見えます。
でもよくよく考えてみると、
本当にそれだけでしょうか。
「続けられるかな」の奥には、
「続けられなかった自分を人に見られたくない」が
あったりしませんか。
「ついていけるかな」の奥には、
「知識がない自分をさらけ出すのが怖い」という
気持ちが隠れていたりしませんか。
表に出てくる不安は、
どこか客観的でもっともらしい言葉をしています。
でもその裏側に、
もう少し正直な気持ちが潜んでいることが
多い気がしています。
「できない自分を見せたくない」は、弱さじゃない
「見られたくない」という気持ちに気づいたとき、
それを恥ずかしいと感じる人もいるかもしれません。
そんな気持ちがあること自体、情けない、と。
でも、これは弱さじゃないと思っています。
人は誰でも、できない自分を見せることに緊張します。
特に、まだ慣れていない場所、
まだよく知らない人たちの中では尚更です。
問題は「見られたくない」という気持ちが
あることじゃなくて、
その気持ちに気づかないまま
「続けられるかな」という別の不安として
処理してしまうことかもしれません。
表の言葉に答えようとしても、
裏の気持ちが解消されないから、
ぐるぐるが止まらない。
「できないかも」に向き合っても堂々巡り。
だけど「見られたくない」に気づくと、
少し違う景色が見えてきます。
正体がわかると、不安との付き合い方が変わる
「見られたくない」という気持ちに気づくと、
対処の方向が変わります。
「続けられるかな」という不安に答えようとすると、
「じゃあ続けられる保証があれば動ける」という
思考になります。
でも保証なんてどこにもないから、
動けないまま時間が過ぎる。
一方、「見られたくないんだな」と気づくと、
問いが変わります。
「どんな場所なら、少し安心して参加できるか」
「最初から全部できなくていい、という前提で動けるか」
こちらのほうが、
現実的に動きやすい問いです。
不安の正体を言葉にするだけで、
ぐるぐるが少し落ち着くこともあります。
「あ、わたしは失敗が怖いんじゃなくて、
失敗した自分を見られるのが怖かったんだ」
と気づく。
それだけで、少し整理される感じがあります。
それでも、一歩だけ動いてみる
「見られたくない」という気持ちは、
気づいたからといって
すぐに消えるものじゃありません。
わたし自身、そういう気持ちが
なくなったとは言えません。
ただ、気づいた上で動くのと、
気づかないまま
「続けられるかな」に答えようとし続けるのとでは、
だいぶ違う気がしています。
「完璧にできる自分を見せよう」じゃなくて、
「今の自分のままで、とりあえず一歩だけ」
踏み出してみましょう。
その一歩は、小さくていい。
完走できなくてもいい。
見られたくない気持ちを抱えたまま動いていい。
不安の正体に気づくことは、
不安をなくすことじゃない。
でも、正体がわかると案外可愛く思えたりします。
そっか、恥ずかしかったんだな、と。
それがわかったら、まずは安心できる場所で、
一歩だけ動いてみてもいいかもしれません。
「見られたくない」を認めてしまうと、
意外と身軽になれます。
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