5月8日に西口洋平さんが亡くなりました。
ステージ4がん患者のエースの訃報を知り、強い喪失感と、いつか来るかもしれないその日への恐怖、そして彼が迎える事が出来なかった今を、私はちゃんと生きているのか、、、14日水曜日に訃報を知ってから、悶々と考えた3日間でした。
(バタバタ日常が過ぎるなか、ゆっくり考える時間が取れず、こんなタイミングになってしまいました)
西口さんは、
「35歳でがん告知、娘は6歳。がんのことを伝える?死をどのように伝える?悩みました。相談したかった。でも、周囲には同世代のがん経験者はいない。治療や仕事、家族との時間も大切な中、時間や場所を選ばずに、がんになったパパママとつながれる『キャンサーペアレンツ』を起案し、勝手に立ち上げた。」(Twitterより)方です。
聞き手がぐっちさんだったから、話した事、話せた事があったように思います。
最後のツイートになった5月4日、痛みと闘う中、私の回も放送された、特別番組の告知をされていました。ラジオは聴けたのかな、、、最後の最後まで発信して、生き方を見せてくれました。
私は肝臓の転移が消えた頃(ウィッグ姿)、キャンサーペアレンツに登録していたので、乾杯のあとの懇親会で、勇気を出して声をかけさせていただきました。
それからは、FacebookやTwitterなどでコメントさせていただいたりしていました。
それから約1年後、ラジオ収録の話を頂いた直後の2月のCancerXの時には、少し痩せていたけど、登壇もされてて、でも懇親会の時は座っている時間も長くて。
その頃には、病状が少し厳しくなっているのは知っていましたし、キャンサーペアレンツを、自分が居なくなった後、どうするのかも考えて、ボランティアスタッフ募集の説明会も予定されていました。
そして、2月26日
ラジオ収録の日、話すのが少し大変そうだけど、大丈夫かな、と思いながらも、あえて普通に接するようにしていた気がします。
体調どうですか?なんて愚問だし、聞かれたら、「まあ、元気ですよ」って言われそうだったし。(私もきっとそう言うだろうし)スタジオに来てくださった、それだけで全てを感じたのでした。
あんなに長くお話しさせていただけた、しかも私の話を聞いてくださったのが、幻のような、不思議な感覚です。
今思えば、あれだけ素の自分になって想いを話す事ができたのは、聞き手が同じく、死をリアルに考えた事のあるぐっちさんだったからで、色々な経験をもった彼が引き出してくれた幻の時間だったように今は思います。
帰り道、一緒に虎ノ門のスタジオから、新橋駅までゆっくり15分くらい、歩いて一緒に帰らせていただきました。仕事の話、キャンサーペアレンツの話、家族の話、、、
色々話した中でも、「僕は男だから、かな〜、何歳まで生きたいとかより、死に方、死にざまみたいな方を考えるな〜」という言葉をすごく覚えてます。
私なんかよりももっとリアルに、その事を考えてる人から出た言葉は、とても重みがありました。
新橋駅で、「また!」と別れつつも、会えるのはもしかしたら最後になるかもしれない、と思いながら電車に乗りました。
そして、今回の訃報を知り、ああ、とうとうこの日が来てしまったか。と想いを馳せる中、朝日デジタルのニュース速報が。
あの日「なんでこんなに精力的に活動できるんですか」と話してたとき「なんだかんだ目立ちがり屋なんですよね」と、言っていた彼。
最後の最後まで、やるな、ぐっちさん。
記事をきっかけに、より沢山の人に彼の人生や活動を知ってもらい、その想いが繋がっていくといいなと思います。
痛みの無いそちらはどうですか?
どうぞ安らかにお眠りください
みんな、いつかはそちらに伺いますので
そんな日の読み聞かせは、、
〜西口さんの関連の記事ご紹介〜
ぐっちさんが教えてくれた
今という時間の尊さに感謝✨
生きている事に感謝✨








