今日は仕事を終えてスーパーへ買い出しにでると雨です。


折り畳み傘を鞄から取り出して大きな傘に変えました。


外にでると、ちょうど目の前で立ち止まる高齢者が目にとまったたのです。


小雨でも長くあたれば濡れて身体を冷やしてしまいますから、声をかけました。


よろしければお家の門までご一緒しましょうニコニコ


この怪しい時代に親切に声をかけられたとしても不安になるとおもいます。嫌な事件やトラブルが多すぎて、他人を無視する方かお互いに安心して居られるような気がします。


私が親切にしてしまったがゆえに、他の人にも心を許してトラブルに巻き込まれたりしないかしら?


というような取り越し苦労までする有り様です。心中複雑のまま、ご一緒して入り口のとこまで傘を傾けて一緒に歩いてきました。


方向は同じ方面だったので、少し遠回りになるだけで、私は急ぎの予定はありません。お婆さんに付き添えるのです。


高齢者なので、足が弱っていたり、すぐにつかれてしまうから10メートルくらいのサイクルで休憩を取ります。


だから東京の町には小さなベンチでよいので、設置をして星いなぁーと思っているサラですが、小池さんはどこまで区民ファーストをしてくれるよでしょうね?


いずれは今の若者も歳をとるのです。そうなればその椅子は後世にも役立つわけです。


そのお婆さんがいわれました。年よりは迷惑をかけることしかできないから申し訳ない。足が弱っているから歩くのが遅くて申し訳ない。


ありがとう。助かりますの言葉だけではないのです。年寄りが社会のお荷物になっている感覚があるから、このような言葉がでてかるのかな?と考えました。


私にはそれがかわいそうに思います。


お婆さんには、みんな必ず歳をとるので、お互い様なのですといいましたけど、お婆さんの心には届きませんでした。


心がチクりとしながらお見送りをしてスーパーへ向かった私です。


モヤモヤしますね。


人は必ずこの世を去ります。その前に肉体が衰えてみにくくなり、骨が弱って背中が丸くなります。


それが人間の宿命であり、老化するのが自然の現象なのです。


寿命が伸びている現代社会では、頭が呆けても生活困難でも生きていなくてはならないから、苦しいと思います。


いつか、その人の意思によって安楽死が選べるような時代がきたり、


老人がお荷物として後ろ向きに生きなくてはならないマインドが消える時代がきてくれたらよいのにーと思いました。


私はまだ肉体が動くうちに、社会に役立つことを小さな枠組みのなかでやりたいと改めて思った今日です。


人の役に立つ生き方して、定年を向かえたなら、悔いを残す量が減ると思いました。自分にも若い頃には人の役に立ったり、社会貢献をしたり、他人にも親切にできていた時代がある想い出を胸にいられるのですから。