
吹田・関大前 「静心庵」・タロット・女性僧侶の 叶淨華です

今日は、お盆の時期がきたので、少しお盆の意味についてお話してみようかと思います。
昨年のお盆の時に記載した記事に
知っているようで知らないお盆のこと①
知っているようで知らないお盆のこと②
でもお盆のお話をしています。
お盆とは正式には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と言い「盂蘭盆経」による、
お釈迦様の弟子である目連尊者(もくれんそんじゃ)の物語から由来します。
目連尊者は自分の母親が、餓鬼道に落ちて苦しみを受けているのを見て、
助けたいとお釈迦さまに願うと
「百味(ひゃくみ)の飲食(おんじき)をもって修行僧たちに供養」するように
教えを受け、その功徳によって自分の母を救ったという経説が
お盆の行事となったものです。
父母や先祖を追憶しこれに孝養(きょうよう)をつくすということが、
このお盆の行事の大きな意味なのです。
お盆と言えば一般には、地獄の釜の蓋が開いて、先祖の霊が帰って来る日とされ
迎え火で迎え、送り火で故人の霊うぃ送るのが風習となっています。
しかし、お盆になると地獄の釜の蓋が開いて、先祖の霊が帰って来るという教えは
もともと仏教にはありません。
ですからすべての仏教宗派において先祖の霊を迎えるような仏事は存在しないのです。
親やご先祖の御恩を念ずる行事なのです。
私たち一人ひとりの命は、それぞれの身に賜っているものです。
しかし、その命は決してそれぞれの個人の命として単独で
バラバラにあるものではないのです。
慈愛のむかしも悲しく
おもうことのみあまたありて
旧里や臍の緒に泣くとしの暮
とは、松尾芭蕉が44歳の時、伊賀上野の里に帰った時にうたった歌です。
「臍の緒(ほぞのお)」それは自分の命がしっかりと親の命に繋がっていることの
証でしょう。
そしてその「臍の緒」は、限りなく長い歴史を次々とつないでいるのです。
その始まりも、行きつく先も見通せないほどに長い命の歴史と広い世界を
内容として私は今、この命を身に賜っているのです。
そのことを思い知らされる時、私たちはこの命を賜っていることに、
ただごとではないと感じるのです。
そしてこの身に賜っている命をただごとではない命として貴ぶということなしには
先祖供養ということはありえないのです。
私たちがこのお盆の行事を縁として、相集うとき、なんとなく心落ち着き安らぐのも
お互いがこの身に賜っている命の繋がりや広がりの限りないことを感じ
共に同じ心を賜って生きているということを、
体が感じ取っているからではないでしょうか
今日も1日、自分のいのちを感じられる日でありますように By JOKA

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