長年抱えている問題を捨てる為

それと汚れた自身の心を浄化させている途中です

なのでこう言った過去の話も己れの為に掲載しています

 

 

 

表記している母親とは元毒養母1号

父親とは元毒養父

 

他にも元養父母がいたけど

まだここでは登場しないのです

 

 

 

 

 

『正直なところ顔は嫌いだったよ

 でも◯◯さんは背が高かったからね
 178cmだから歴代BFの中ではダントツだった

 

 それ以外のBFは170cmまで届かなくて

 163cmの私がハイヒール履いて並ぶことを考えると…ね

 

 ハンサムでかっこいいけど大学出てない人も多かったから

 やっぱ東京六大学の一つを出てるって言うのが大きかったな』

 

 

 

そんな風に過去のBFや父親のこと言っていた東京の貧乏一家出身の母親が、田舎の物凄くお金持ちのボンボンの父親と出会い、
欲しいモノは何でも手に入れて来た父親は、親に頼んで(多分そうだろうな)、結局はお金で母親を射止めて、"無事" に結婚した。

 

 

結婚するまで、父親の実家には来たことがなかったそうで、結婚式の少し前に初訪問で引越したそう。

だけど、嫁入りの引越と言っても彼女には何の荷物もなかったとかで、唯一、母親の母親が持たせてくれた濃い茶色の鏡台と、当時の婚礼にはコレ!と何処の家でも決まってたらしい?明るい茶色の小さなタンスを持って来たそうだけど、もっともこれ等の嫁入り道具も、送付は夫である私の父親側、つまり私の祖父だった人がお金を送って、そして東京から送ったらしい。

 

母親の母親が、せめてこれだけは親としては。

と持たせてくれたのだろうと思うと、何とも切ないし、あの写真の悲しげな表情が思い浮かぶ。

 

会ったことのない私の祖母は、薄幸な人生だったと思うけど、自分でもそれを感じていたのだろうか?

 

(のちに濃い茶色の鏡台と明るい茶色のタンスは、私が1人部屋を貰った時に、それを使うように母親から言われたのだけど、私は何か色合いが暗くてなんか嫌だった)

 

 

写真では見たことがあった父親の実家は、それは大層立派で母親は驚いたそうだ。

無理もない、彼女は4帖半と8帖と3帖の部屋しかない借家に両親と兄弟姉妹7人で暮らしてたのだから、敷地が何万坪もあって、建ててまだ数年の150坪の家は、お城のように感じたのだろう。

 

まだ羽振りも良い頃で、門番?らしい人もいたし、お手伝いさんも数人通いでいたそうだ。

 

そこの家には、例の祖父の何番目かの元妾だったの現妻と、10歳位年の離れた姉が暮らしていて、まぁ何かと問題はあるだろうな、と母親も感じていたけど、姉は近々見合いをするとかで、それが決まったら家を出るから、と祖父が話していたみたいだけど、そうは問屋が卸さなかったようで。

 

見た目は大きな家だけど、2階にはどう言うわけか2部屋しかない家で、片方の部屋に新婚カップルが住み、片方のもっと大きいほうの部屋には義姉が住んでいた。

 

「お義姉さんって人、いつ結婚するんだろうなぁ」

と思ったけど、さすがにそこまでは言えなかったらしい。

 

 

 

初訪問を終えて、少しして最初に父親の実家の地元で結婚式をしたそうだ。

母親いわく、ムスッとして面白くなさそうなのが丸わかりの祖父の弟(祖父が養子にした人)がいて、母親が挨拶をしても無視されたとかで、このジーサンが亡くなってもそのことを言ってたな。

 

そして披露宴には、田舎の名士やら祖父の仕事の関係の面々がズラーッと並び、まるでお呼びでない状態の母親が1人でポツンと座っていたとか。

結婚式の当日も、夫である私の父親は既に出来上がってしまって、もうかなりの酔っ払いになってしまって、気がついたらバックレてしまって麻雀屋に行ったとか。

 

 

 

それから少しして、今度は東京の実家の人達向けに披露宴をしたそうだ。

 

(母親の母親は参加しなかったとか。

 その時、既に母親の母親はガンだったとかで入院していたらしい。

 ちなみに父親の実家の地で結婚式と披露宴をした歳には、彼女の兄だけが参加したそうだけど、田舎の言葉がわからなかったらしい)

 

 

 

「目黒の雅叙園でやったのよ!

 もうね、本当に豪華で凄かったんだからー!」

とこっちでも、自分の夫の父親がお金をかけて盛大に行ったそうだ。

 

 

 

 

 

これです

開業当時らしいので昭和初期の写真かな?

山手線の中や駅近辺でやたらと看板を見かけたな

今は改築だか新築されて更に御殿みたいですな 笑

 

 

 

 

 

参加した近所の人達や、そして彼女の家族や友達が集まって、

 

「凄いねぇ。

 ◯っちゃん、幸せだねぇ良かったねぇ」

 

と友達に言われて、

 

「そうなのか、私幸せなんだね、
 うんそうだよね、うんそっかそっか!!!」

 

と自分で自問自答したそうだ。

 

 

 

彼女の母親は、この時参加したのかどうかは、忘れた。

でも、たぶん出来なかったのかな?と私は思ってる。

 

病院に入院してたとか聞いた記憶があるのだけど、それでも入院先から目黒まで僅かな距離でも行けなかったのだとしたら、なんだか自分の破天荒な娘の晴れ姿が見られず、気の毒だよなぁ。

 

 

 

 

 

(2018年6月1日15時51分25秒記)