(2018年5月31日17時12分記)

 

 

 

私の元母親は、外面がよい女。

(彼女は最初の元毒養母)

 

働き者で頑張り屋で、とっても真面目で。

へぇ、そうなんだ、世間にはそんな風に見えるんだ。

 

まぁ働き者なのは認めるとしても、頑張り屋は一方でただの意地ッ張りだし、
真面目なのはある意味はそうなのかもだけど、自分の評判を気にするからそうなるのかもね。

 

 

 

 

 

彼女は、東京生まれの東京育ち。

「貧乏家だけど、23区。
 言っておくけど都下じゃないからね、アッチと一緒にしなさんな!」

 

常にこれを、家の中で私に向かって言ってた。

 

 

田舎生まれ田舎育ちの、明治女の祖母に言っても、
「俺、あんな喧しい街なんか、大嫌いだ」

と返ってくるだけなので、こんな言葉通じないしね。


 

 

 

 

母親はこの写真のず~っとずっと左側にあった

総理府統計局で仕事に従事して夜はここで遊んでたそうだ

昭和30年頃の新宿

 

ワシントン靴店も同じ場所で

高野のロゴは今も同じなんだね…

 

 

 

 

 

東京で大学生活してた父親は、

彼女の実家のある地域の近隣に住んでいて、

「新宿から15分だけど、ちょっと歩くと畑があって結構田舎だろアソコは」

と結構バカにしてたことを覚えてる。

 

 

特に何かをしたわけでもないだろうけど、いわゆる標準語と言う言葉が気に障ったようで、
周囲からは「東京の人」と敵対されていたらしく、八百屋さんに行った時、

 

「お大根を一本くださいな~♪」

と言えば、

 

「おだいこん~? デコだろうよ? 
 東京さんは全くなぁ、ブワッハッハッ!!!」

 

と周囲から大声で返されて、なにこの人達はバカなの?

疲れるなぁ、いちいち田舎者なのを僻むなよもう、と、


「じゃ、そのデコを一つください」

と言うと、

 

「ギャハハハ!!!」

と大勢から返ってくるとかで、

 

「あー、これだから田舎者って大嫌い!!!」

 

そう毎回思って、毎日生まれたばかりの兄を背負って、

家から割と近い駅まで行って東京まで続く線路を見ていたらしい。

 

 

1966年の頃の駅

umemadoさんからお借りしました 

 

 

 

これは東京に繋がってるんだ、、、

いつか帰りたいな、いつかな、いつだろう、、、

 

こんな所、もう嫌だな、戻りたいな、、、

 

友達も知り合いも、誰1人いない夫の実家で毎日そんな風に暮らしていたそうだ。

 

 

 

 

 

(2018年5月31日17時12分記)