これも春に書きました

 

 

 

私の毒元養父の話だけど

是非読んで下さると嬉しいです

 

 

 

 

 

 

 

 

庭の端っこ辺りにこんな渡り廊下がありました

 

所々が雨風にやられて

補修もしないので腐って穴が開いてました

 

価値のわからない人間には

美しい佇まいなどと言うものはただの無用の長物なんですね

 

 

 

 

 

 

 

 

母親いわく、父親が一家の主として仕事を始めたのは、彼等が結婚してから15年位経った頃だそう。

 

 

それまでは、
「仕事? なにそれ? なんか美味しいヤツ?」
と今の時代だと言うらしいけど。

 

冗談はさておき。

 

「仕事をする」

と言う選択肢自体が、彼等の周囲には浸透していなかったんだと思う。

 

父の周囲、親戚なども似たような家庭環境で、
「これ」と言った仕事は、誰もしていなかったらしい。

 

土地だとか、農園だとか、そう言った資産運用で食って来てたのだそう。

もう今では全く考えられないのけど、私が生まれて暫くはそんな生活だったそうだ。

 

 

父が大学を卒業して、すぐに結婚して、すぐに母が妊娠。

そして、その年の冬に子供が生まれた、私の兄で彼等の長男である。


母親は慣れない土地で、忙しく子供の世話が始まった。

 

生まれた息子は、体が弱く、喘息やリュウマチなどで入退院を繰り返す日々。

だけど、この息子が家にいる時は、祖父母が掛かりっ切りで見ていて、母親は全く触ることが出来なかったらしい。

 

おまけに、地元の病院ではダメだ!
と祖父母が決め、40km離れた県庁所在地の市の大きな病院に入院。

そして、自宅で療養の時に通院する際には、その街までタクシーで通院していたそうで。

 

「電車だとかは、他の人間も沢山いて体に触るから!」

と祖父母の意見が押し通されて、母親は何も言えなかったそうだ。

 

 

で、父親の生活と言えば。

結婚して子供が生まれても、そしてその子供が病気で芳しくなくても、彼は自分の生活ペースを変えなかったそうだ。

 

(その時の話を、私が大人になってから聞かされて、なぜか私に八つ当たりされたことがある)

 

 

 

毎日毎日昼過ぎまで寝て、起きたら近所のお店で美味しいお蕎麦を食べて、

その足でパチンコや麻雀屋に足繁く通い詰め、夜になれば繁華街で食事をして、

その後はバーとかの女性のいるお店に毎晩毎晩通い、本当に一日も休まずに外へ出てばかりの日々だったそう。

 

子供ことなど全く気にもしないし、病気のことも聞かない、

そして、妻である母親にも全くの甘い言葉とか、何か愛情らしいことも一切無くて、

母親は毎日悲しかったらしいけど、それでも実家に帰るに帰れなかったと言っていたっけ。

 

 

父親の父親、つまり祖父もこんな感じだったのだろう、きっと。

 

まぁ、祖父は市の仕事をしていたから、寝てばかりではないだろうけど、

仕事が終われば、毎晩繁華街で宴会やらその手の類の場所に出かけて、

そこには祖母も一緒について行って、"悪いこと"  をしないように見張っていたらしい。

 

小さい頃から、親がそうであればそれが手本になるのだろう。

良くも悪くもだけど、私の父親はそう言う人間になるべくしてなったのだろうね。

 

 

父が小さい頃は、お手伝いさんのことを言う「ねえやさん」達が、父の面倒をみていたそうだ。

そして、父には10歳位年齢の離れた姉がいて、実質その人が母親のように面倒をみていたのかもしれない。

 

と言うのは、父の実母は祖父の何番目かの妻だったようだ。

あまり体が丈夫ではなかったそうで、お母さんと言う人は寝てることが多かったらしい。

 

なので、ねえやさん達や実姉が母親代わりになっていたらしい。

 

(その姉と言う人は、弟夫婦の隣の部屋に住んでて、数年をそこで過ごしたらしい。

 母は、毎日嫌で嫌でしゃーなかったわ、と顔の似ている私にここでも八つ当たりだったっけ)

 

 

そして、父が18歳の高校生の時に、彼の母親は亡くなったそう。

 

悲しみに浸る間もなく、お葬式が終わって数ヶ月後に、

祖父は何度目かの結婚をして、その例の祖母を家に迎えたらしい。

 

この時、父はどう思ったのかわからない。

 

それを聞いた時、

「えっ、いくらなんでも早過ぎじゃないのそれって?」

と思ってそれを伝えたことがあったような記憶があるけど、

果たして、あの父はその時何を答えたか、もう覚えていないのだ。

 

 

そして、

「前の人達の匂いの染み付いた家、俺は住みたくないから」

と古い家を取り壊して建て替えたとのこと。

 

祖父の所有する土地に、祖母の稼いだお金で建てた家である。

 

とても大きくて、外から見ればそれは立派に見える家だったけど、

住んでいる側からすると、部屋数が人数に合わない家で窮屈だったっけ。

 

それを言うと、

「俺の建てた家だ!

 お前達、なんでここに勝手に住んでるんだ?

 もういい加減に出て行け、傷をつけるなこのガキ!」

と、よく怒られてたな。

 

 

脱線したので話を戻す。

 

建て替えしている間、祖父母は近郊の温泉地に別荘を購入して住まいしてたそうだ。

 

その別荘とやらは、私達は勿論だけど、父親も一度も行ったことがなかったとか。

写真は白黒のを何枚か見たことがあったけど、親子の生活が全く切り離されていたんだな、と。

 

父は建て替え期間は、姉と2人で市内の「料理旅館」に住んでいたとのこと!

旅館なら食事も出るし、洗濯もして貰えるし、何の不自由もないだろうと、祖父の案だったとか。

 

これを聞いた時、まぁ物凄く驚いたのを覚えてる。

父はそこから高校へ通い、父の姉は中学の教師だったので職場へと。

今から、50年以上も昔の1950年台の末頃の話だけど、随分と豪気だなぁと感じたのを忘れられない。

 

 

 

続く