木曜の午前十時十分、私は新宿三丁目の車の流れを横切り、中国舞のレッスンへ向かう。肉汁餃子の店先で点滅するクリスマスの灯りを過ぎ、静かな成覚寺の前を通る。


   成覚寺には朱門はない。

   灰白色の壁は年月に磨かれ、鈍い光を帯びている。夏の終わりには、牽牛花が塀に沿って這い上がり、青紫の花が一輪ずつ、壁にそっと貼りつくように咲く。

   数十メートル先で右に折れ、手すりのない十七段の急な階段を下り、地下の貸しスタジオへ入る。下へ進むにつれ、耳の奥が重くなり、まるで封じられた水層へ潜っていくようだ。

   地上のバスの音や人声は、コンクリートに濾されて遠のいていく。代わりに、地下では鏡張りの壁、床材、そして柔らかな中国音楽が、層をなして立ち上がってくる。


   十時二十分。

   音楽に合わせ、先生が私たちを身体の解放へと導く。あぐらをかき、目を閉じ、私は全身を床に預ける。


  このすぐ上の近くの土地には、江戸の土層、明治の瓦礫、昭和の破片が重なっている。後になって知った。この辺は内藤新宿の「投げ込み寺」だった。

  奉公の途中で亡くなった飯盛女たちは、身につけていたものを剥ぎ取られ、俵に詰められ、物のように土に投げ込まれたという。

   二千余人、あるいは三千余人。

   名は失われ、身体は粗雑に扱われ、残されたのは合埋という数字だけだった。

   成覚寺の前を通るたび、私はこの寺を、忘れられた古い切手のように感じていた。新宿という街は、ネオンで欲望を養い、沈黙で余剰の人間を処理する。


    時折、レッスンで「円場歩」を踏む。小さく速い歩幅、上半身は水面のように静かに。鏡の中の人影が輪となり、ゆるやかな渦を生む。

   地上では、成覚寺の朝課が終わりに近づいている頃だろう。地下では、中国舞の繊細な「雲手」が、見えない気流を押し広げる。

   一方は無名者のための読経、もう一方は都市に疲れた身体をなだめる動き。


   新宿東宝ビルの向かい、古い雑居ビルの三階にある小さなサルサバーは、かつて私の最初のダンスの避難所だった。

   サックスは喉を焼き、コンガは肋骨を震わせ、回転すればスカートが火のように弾けた。若さを過ぎた私は、ラテンの熱で、迫り来る時間の声に抗っていた。

   やがてK-POPのガールズダンスに夢中になった。

巣鴨のスタジオで、ポニーテールを振り、指で銃を作り、強拍を踏む。ぜんまいを巻かれた都会の人形のように。

   新宿の路地のCDショップには、BoAや少女時代のポスターが貼られていた時、CDを買って急ぎ足で通り過ぎる。ハイヒールの音が地面に刻むリズム。立ち止まるのが怖かった。止まれば、身体の中で何かが期限切れになる音を聞いてしまいそうで。

   真夏の夜、新宿二丁目の「ドラァグ太鼓祭」は喧騒に包まれる。ドラァグクイーンが和太鼓を打ち鳴らし、その鼓動が《Gee》のビートとコンクリートの中で衝突する。

    一つは存在の宣言、もう一つは記憶されることへの願い。

    私は踊りたくて仕方がないのに、どうしても感覚に乗れなかった。

   その夜、母が髪を梳く夢を見た。

   木櫛が白髪を通り抜ける。ゆっくりと、何度も。

   母がこの世を去って、もう二十年が経っている。


   コロナ禍の最中、私は初めて中野で開かれた中国古典舞の「身韻」のクラスに入った。

   先生は拍を数えない。

   「提——沈——含——腆」とだけ告げる。

 胸の前で太極の円を描くような雲手、軽やかな翻身、音もなく床に吸いつく足裏。

   この美しさは、分かる!

   私の身体は、ずっと故土の文法を覚えていたのだ。


    やがて木曜の午前は、郷愁を撫でる時間になった。教室はいくつも移り、昨年ようやく新宿に落ち着いた。仕事に追われない木曜、私は成覚寺の前を通って舞踊へ向かう。


   夏には牽牛花が塀を這い、

   深秋には銀杏が一夜で黄に染まり、無縁仏の土丘に葉を落とす。

   十月の法要前、地域のボランティアが、合埋碑のそばに銀杏の葉をそっと敷くのを見た。

 供養ではない。床を整えるのだ。名を持たなかった女たちのために、陽を夢見る寝床を。


   私の舞踊遍歴は遠回りだった。

 ラテンの烈、モダンの矜、K-POPの鋭、朝鮮舞踊の沈。そしてようやく、中国古典舞の「円・曲・拧・傾」に、身を預ける。

 正午。

 レッスンは終わり、仲間たちは階段を上って地上へ出る。陽光は思いのほか温かい。

 十二月十八日、冬至を前にして。

   路地のカフェでは《Last Christmas》が流れ、成覚寺の灰色の壁はいつも通り静かだ。

   赤毛や金髪の欧米の女性たちが「禅的な一瞬」を撮影して、朗らかに笑っている。

 風に傾いた供花桶の中で、白菊は縁を茶色に染めながらも、背を伸ばしている。


    東京で三十二年。

    観光客から居住者へ、そして凝視する者へ。

    私はようやく、歩みを緩め、合掌し、眉を伏せたくなる小さな土地を、慈しめるようになった。

     

    南アジアからの一家が寺に入り、写真を頼まれた。

 私は寺らしさを強調しない角度を選び、日本で暮らしてきた私なりの感覚で、何枚も撮った。

    笑い声を残して一家が去っていった。


   胸の前で手を重ね、静かに合掌する私。

   仏にではない。

   同じく女として生きた命の行路に。


       生きたことを。

       愛したことを。

      路地で倒れたその時にも、風が一枚の金色の葉を、あなたに掛けてくれたことを。


        合掌🙏