12月28日
Dingboche ( 4410m ) - Thukla ( 4620m )
予定変更
高度順応も終わり、今日はかなり先に進むはずであった。
昨晩、ご飯を食べることができたKeikoさんであったが、トゥクラまでの道のりで、これ以上先に進んでは危険な状態になると自分で判断された。
この決断力に拍手であった。自分の体の状態を自分できちんと把握されていらっしゃるのである。高度にそれほど強くないKeikoさんが今まで、ヘリでの救助という事態にならなかったのは、Keikoさんがご自身のことをよく理解しており、無理をしなかったからにちがいない。
トゥクラに着いた時点で、今日はここに宿泊することが決まった。
これは、私にとっても、よい高度順応、ルート調節日になった。これが正しいかどうか分からないが、昨日のように一度高い標高に上がって、また下りてくると、高度順応しやすいのか、翌日の調子がとてもよいのだ。
それなので、明日登る予定の急な坂をかなり上がってきた。トゥクラからちょうどきつい登りが始まるのだ。今日は、一人行動でも特にとめられなかった。
登りながら、ランチ後に、これを登るのはなんだか辛そうだなあと思っていた。一般的には、トゥクラは、ランチをする場所であり、ディンボチェの後は、ディボチェに宿泊するがケースがほとんどであるようだ。
それから、トゥクラからの景色が、絶景なのだ。結局、私の中では、ここからの景色がこのトレッキングで一番好きな景色となった。あの景色を表現できる術を私は持っていないが、きりっとした白い山々が、空を突き刺しているような感じ。美しすぎた。この変更により、この絶景の中で過ごす時間が長くなった。
ロッジに戻ってきてからは、ポーターくんたちとフリスビーをしたりして、時間をつぶした。このフリスビーというのが、キリマンジャロでも大活躍したのだ。極度に高度に弱い方にはお勧めではないが、楽しく運動することは高度順応に役に立ったと信じている。
ただ、かなり風が強くなり、フリスビーが更に私の意図しない方向に飛んでいくので、それほど長い時間はできなかった。
トゥクラのロッジ
トゥクラのランチ時の忙しさは、すさまじいいものであった。このオフシーズンであっても、入れ替わり、立ち代わり、上から下から人が訪れ、ランチを注文していく。
ネパールのロッジのすごいことに、メニューがとても豊富だということが挙げられる。日本であれば、山小屋の食事メニューの朝、夜は大体決定しており、選択できる小屋なんてとても限られているだろう。そしてランチの選択肢もそれほど多くない。
しかし、ネパールのロッジは、メニューからどれを選んでもよいのだ。おまけに、結構なメニューの数である。
特にここトゥクラは、ランチのためにあるレストランみたいな位置づけのため、対応しなくてはならない人数がかなり多かったはずだ。しかし、私が対応してもらったみたいに、個々にオーダーをとり、オーダーした食べ物を提供している。
そして、キッチンの人たちの手際のよいこと。ここは、中が丸見えになっていたので、ちょっと覗いていた。私の何十倍も手際がよく、ちゃかちゃかといろんな料理を作っている。それも、若い男の子たちがやっているのである。彼らの動きは、プロであった。
おまけに、ランチが終わると、食堂の椅子を片づけてまでの気合の入った掃除をしていた。そういう決まりなのだろう。結構きちんとしたスタッフの教育をしているロッジのようだ。
後で知ることになるのだが、ここで働いていた男の子達は、シェルパ族ではなく、ライ族という。ここでもオーナーはシェルパ族であるが、現在はカトマンドゥ―の別宅にいるということである。そして、営業をライ族の子たちに任せているのである。
シェルパ族も日本人に似ているが、ライ族の方がもっと日本人に近い。そして、みんな背は低めで、童顔で、かわいい感じの人が多い。若い男の子たちと思っていたが、もしかしたら結構な年だったかもしれない。
そして、われらのポーターくんの一人サンギーは、ライ語もわかるという。彼の村には、シェルパ族とライ族がいるからということだ。
それにしても、同じ国、同じ村に違う言語を話す人、違う民族がいる国って、国をまとめるの大変なんだろうなと人ごとながら、思ってしまう。
けれどもその多様性があるから、他文化に対しても寛大になれるし、自分のアイデンティティーをより明確に確立できるのかもしれない。日本みたいに、大多数が似たような人たちだと、そのグループと違うとなんだか変な目で見られたり、疎外されたりする。つまり、多様性を受け入れる器が、それほど大きくないのだ。
それに、他言語に対するしきりも当然低くなる。だから他言語の国の人たち、例えばネパールとかシンガポールとかスイスの人たちは、何ヶ国語も何なく話すことができるのではないだろうか。うらやましい。
さて、夕食を終えて、いつもの通り、ストーブに群がっていると、ごつい西洋人のカップルが入ってきた。6:30ぐらいだったか、真っ暗の中をこのロッジまで歩いてきたのだ。シェルパがいないので、彼らだけで歩いているのだろう。だから、まあこんな時間でもふらふら歩いているのだ。シェルパがいたら、こんな時間まで歩くスケジュールを許してくれるはずがない。彼らは、どうやら荷物も預けてあり、今日戻ってくることを宿の人にも伝えてあったらしかった。
そして、小屋のスタッフと思われる人も、小屋に帰ってきた。彼らは、ストーブ燃料のゾッキョの糞を拾いに行っていたという。そうか、こんなこともネパールのロッジの仕事のうちの1つになるのだ。
西洋人カップルは、かなり疲労していたらしく、夕食後すぐ部屋に戻ってしまったので、食堂は、私たちとロッジの人だけとなった。気温が冷えるにつれて、みんながどんどんストーブに接近してくる。
私たちのポーターくんたちは、トレッキング5日目ぐらいまで、私たちと違うロッジに泊っていた。というのも、彼らの宿泊費は、自分たちで個別に宿と精算しているらしく、自分たちの知っている安いロッジに泊っていたらしい。
ポーターくんたちとは、日中に一緒に行動することもないし、宿も違っていたので、ほとんど話す機会がなかったのだ。それなので、ここトゥクラではじめて、まともに話をしたような気がする。彼らは、20歳をちょっと超えたくらい。そして、この仕事をはじめてから6.7年という。
ということであれば、かなり若い頃からこの仕事をしている。それなのに、英語でのコミュニケーションは、まあ問題ない。仕事中に覚えるのであろうか。そして、シーズン中はポーターでなくガイドの仕事もしているという。ここら辺の道は、知り尽くしている感じである。
2人の村は、歩いて数時間ということで、ポーターくんの2人はとても仲がいい。今回の荷物は、もともと1人で持てる荷物を2人で持っているために、彼らからしてみれば余裕であるはずだ。まあ、私たちの最後のチップによるのであるが、この2人が、このトレッキングで楽しく稼げればいいなあと思う。
それと、Keikoさんが持っている血中酸素濃度計で、みんなで濃度を測って遊んだりもした。私は、ここ数日間の高度順応が功を奏して、ロッジのスタッフと同じぐらいであった。そんな中で、夕食を口にすることができなかったKeikoさんに何もしてあげられない自分がとても悲しい。
今までのロッジでは、そこそこの登山客がいたので、ロッジの人とストーブの周りで話す機会はなかったが、ここトゥクラではロッジの人もストーブの周りに集まってきた。いろんな言語が飛び交っておもしろいのだ。
それから、Keikoさんに、ロッジの人からおもしろい提案があった。なんと馬でカラパタールに行くという選択肢である。次の村のロブチェから、馬でカラパタールの往復ができるという。そんな方法もあるのだ。そして、実際に、馬に乗ってこの街道を歩いている人たちを明日以降、見かけることにもなるのだ。
もう少しでトゥクラ
ここからの景色に惚れこむ
写真は、こんなですが、言葉を失う美しさです~。
Dingboche ( 4410m ) - Thukla ( 4620m )
予定変更
高度順応も終わり、今日はかなり先に進むはずであった。
昨晩、ご飯を食べることができたKeikoさんであったが、トゥクラまでの道のりで、これ以上先に進んでは危険な状態になると自分で判断された。
この決断力に拍手であった。自分の体の状態を自分できちんと把握されていらっしゃるのである。高度にそれほど強くないKeikoさんが今まで、ヘリでの救助という事態にならなかったのは、Keikoさんがご自身のことをよく理解しており、無理をしなかったからにちがいない。
トゥクラに着いた時点で、今日はここに宿泊することが決まった。
これは、私にとっても、よい高度順応、ルート調節日になった。これが正しいかどうか分からないが、昨日のように一度高い標高に上がって、また下りてくると、高度順応しやすいのか、翌日の調子がとてもよいのだ。
それなので、明日登る予定の急な坂をかなり上がってきた。トゥクラからちょうどきつい登りが始まるのだ。今日は、一人行動でも特にとめられなかった。
登りながら、ランチ後に、これを登るのはなんだか辛そうだなあと思っていた。一般的には、トゥクラは、ランチをする場所であり、ディンボチェの後は、ディボチェに宿泊するがケースがほとんどであるようだ。
それから、トゥクラからの景色が、絶景なのだ。結局、私の中では、ここからの景色がこのトレッキングで一番好きな景色となった。あの景色を表現できる術を私は持っていないが、きりっとした白い山々が、空を突き刺しているような感じ。美しすぎた。この変更により、この絶景の中で過ごす時間が長くなった。
ロッジに戻ってきてからは、ポーターくんたちとフリスビーをしたりして、時間をつぶした。このフリスビーというのが、キリマンジャロでも大活躍したのだ。極度に高度に弱い方にはお勧めではないが、楽しく運動することは高度順応に役に立ったと信じている。
ただ、かなり風が強くなり、フリスビーが更に私の意図しない方向に飛んでいくので、それほど長い時間はできなかった。
トゥクラのロッジ
トゥクラのランチ時の忙しさは、すさまじいいものであった。このオフシーズンであっても、入れ替わり、立ち代わり、上から下から人が訪れ、ランチを注文していく。
ネパールのロッジのすごいことに、メニューがとても豊富だということが挙げられる。日本であれば、山小屋の食事メニューの朝、夜は大体決定しており、選択できる小屋なんてとても限られているだろう。そしてランチの選択肢もそれほど多くない。
しかし、ネパールのロッジは、メニューからどれを選んでもよいのだ。おまけに、結構なメニューの数である。
特にここトゥクラは、ランチのためにあるレストランみたいな位置づけのため、対応しなくてはならない人数がかなり多かったはずだ。しかし、私が対応してもらったみたいに、個々にオーダーをとり、オーダーした食べ物を提供している。
そして、キッチンの人たちの手際のよいこと。ここは、中が丸見えになっていたので、ちょっと覗いていた。私の何十倍も手際がよく、ちゃかちゃかといろんな料理を作っている。それも、若い男の子たちがやっているのである。彼らの動きは、プロであった。
おまけに、ランチが終わると、食堂の椅子を片づけてまでの気合の入った掃除をしていた。そういう決まりなのだろう。結構きちんとしたスタッフの教育をしているロッジのようだ。
後で知ることになるのだが、ここで働いていた男の子達は、シェルパ族ではなく、ライ族という。ここでもオーナーはシェルパ族であるが、現在はカトマンドゥ―の別宅にいるということである。そして、営業をライ族の子たちに任せているのである。
シェルパ族も日本人に似ているが、ライ族の方がもっと日本人に近い。そして、みんな背は低めで、童顔で、かわいい感じの人が多い。若い男の子たちと思っていたが、もしかしたら結構な年だったかもしれない。
そして、われらのポーターくんの一人サンギーは、ライ語もわかるという。彼の村には、シェルパ族とライ族がいるからということだ。
それにしても、同じ国、同じ村に違う言語を話す人、違う民族がいる国って、国をまとめるの大変なんだろうなと人ごとながら、思ってしまう。
けれどもその多様性があるから、他文化に対しても寛大になれるし、自分のアイデンティティーをより明確に確立できるのかもしれない。日本みたいに、大多数が似たような人たちだと、そのグループと違うとなんだか変な目で見られたり、疎外されたりする。つまり、多様性を受け入れる器が、それほど大きくないのだ。
それに、他言語に対するしきりも当然低くなる。だから他言語の国の人たち、例えばネパールとかシンガポールとかスイスの人たちは、何ヶ国語も何なく話すことができるのではないだろうか。うらやましい。
さて、夕食を終えて、いつもの通り、ストーブに群がっていると、ごつい西洋人のカップルが入ってきた。6:30ぐらいだったか、真っ暗の中をこのロッジまで歩いてきたのだ。シェルパがいないので、彼らだけで歩いているのだろう。だから、まあこんな時間でもふらふら歩いているのだ。シェルパがいたら、こんな時間まで歩くスケジュールを許してくれるはずがない。彼らは、どうやら荷物も預けてあり、今日戻ってくることを宿の人にも伝えてあったらしかった。
そして、小屋のスタッフと思われる人も、小屋に帰ってきた。彼らは、ストーブ燃料のゾッキョの糞を拾いに行っていたという。そうか、こんなこともネパールのロッジの仕事のうちの1つになるのだ。
西洋人カップルは、かなり疲労していたらしく、夕食後すぐ部屋に戻ってしまったので、食堂は、私たちとロッジの人だけとなった。気温が冷えるにつれて、みんながどんどんストーブに接近してくる。
私たちのポーターくんたちは、トレッキング5日目ぐらいまで、私たちと違うロッジに泊っていた。というのも、彼らの宿泊費は、自分たちで個別に宿と精算しているらしく、自分たちの知っている安いロッジに泊っていたらしい。
ポーターくんたちとは、日中に一緒に行動することもないし、宿も違っていたので、ほとんど話す機会がなかったのだ。それなので、ここトゥクラではじめて、まともに話をしたような気がする。彼らは、20歳をちょっと超えたくらい。そして、この仕事をはじめてから6.7年という。
ということであれば、かなり若い頃からこの仕事をしている。それなのに、英語でのコミュニケーションは、まあ問題ない。仕事中に覚えるのであろうか。そして、シーズン中はポーターでなくガイドの仕事もしているという。ここら辺の道は、知り尽くしている感じである。
2人の村は、歩いて数時間ということで、ポーターくんの2人はとても仲がいい。今回の荷物は、もともと1人で持てる荷物を2人で持っているために、彼らからしてみれば余裕であるはずだ。まあ、私たちの最後のチップによるのであるが、この2人が、このトレッキングで楽しく稼げればいいなあと思う。
それと、Keikoさんが持っている血中酸素濃度計で、みんなで濃度を測って遊んだりもした。私は、ここ数日間の高度順応が功を奏して、ロッジのスタッフと同じぐらいであった。そんな中で、夕食を口にすることができなかったKeikoさんに何もしてあげられない自分がとても悲しい。
今までのロッジでは、そこそこの登山客がいたので、ロッジの人とストーブの周りで話す機会はなかったが、ここトゥクラではロッジの人もストーブの周りに集まってきた。いろんな言語が飛び交っておもしろいのだ。
それから、Keikoさんに、ロッジの人からおもしろい提案があった。なんと馬でカラパタールに行くという選択肢である。次の村のロブチェから、馬でカラパタールの往復ができるという。そんな方法もあるのだ。そして、実際に、馬に乗ってこの街道を歩いている人たちを明日以降、見かけることにもなるのだ。
もう少しでトゥクラ
ここからの景色に惚れこむ
写真は、こんなですが、言葉を失う美しさです~。
