毒親育ち「タマシイム・マシン」の猜疑心 | CRPSだけど生涯踊るのが目標なのです♪

CRPSだけど生涯踊るのが目標なのです♪

★病気(CRPS:骨萎縮、異痛症、電撃痛、軽麻痺)で杖・車椅子生活が、遠絡治療、リハビリを経て半寛解
★病気の膝は前十字靭帯断裂のまま手術NGスポーツ全般NG。サポーター着用でも膝が外れる
★病気復帰後、第二の人生目標は一生ダンスすること
★ダンス:ジャズ、サルサ

処理出来ない気持ちを

処理することはやめたので

いまの気持ちを

いま感じる

そのままのわたしを


うまく話せるか

どう着地するかも

わからないですが

このモヤモヤが

いまのわたしです




注意家族系トラウマな話になります

苦手な方は

本当に、ここでストップです!!


ご縁があれば

別記事の折りに

また遊びにきてくださると

嬉しいですニコニコラブラブ












ことの発端は

妹から

「薬屋のひとりごと」小説最新刊

早く読ませておくれ


という連絡があり


妹の体調不良が

ここ数週間続いていたため

実家に滞在しており

わたしと夫が

本を実家へ届ける

ということから始まります




さてわたしは、といえば

実家を「悪の巣窟」と呼んでおり

相当なことがない限り

近づきません


定期的に

妹や母とは会っていますが

わたしにとって父は

「苦手」の範疇を大きく超えており

もはや一生会わなくていい、という

次元にまで達しています

(2021年現在)


父と接触すると

情緒・精神が不安定になってしまい

それが暫く尾を引いてしまいます


この不安定になる、という話は

軽く、ではありますが

母と妹には話しており

2人とも、口を揃えて

会わなくていいし、会わないでいい

と言ってくれています




時代は遡り、、、、

わたしの幼少期


当時5歳だったわたしは

とある宿題を出されます


その宿題は

「あなたの尊敬する人は誰ですか」

というものでした

5歳のこどもが考えうる人物は

そう多くなく


まわりの友だちは

「お父さんとお母さん」

が大半のなか

わたしは

「お母さん」でした

画用紙に、お母さん、以外が

思いつかないのです


先生に

「お父さんは尊敬できない?」

と聞かれ

こどもながら、何度も何度も考えて

やっぱり答えは

「お母さんしか尊敬できない」

でした

先生は困り顔のまま

画用紙を受け取っていました


そして、友だちの答えが

「お父さんとお母さん」

であることに対して

じぶんの家が他の家とは

明らかに何かが違うのだ、と

認識した瞬間でした


当時を思えば普段から

母にDVをしていた父を

尊敬できるだなんて

とてもではないけれど

思えなかったので

当然の結果とも言えるかも知れません


わたしはこのときから

他の家とは違うのだから

これを他人に気づかれてはいけない

これを気づかれるということは恥だ

と強烈に認識し

友だちにはもちろん

誰にも気づかれないように

仲良し家族アピールをするようになります


もし異常な家族だと気づかれたら

何もかもが崩壊してしまうようで


わたしがわたしを

異常な家族の一員であることを

認めたくなかったのかも知れません


なんでもないことを

人とおしゃべりするときは

嘘をつかずに事実だけ

楽しそうに話をする


お父さんとこんな話をしたんだ

お母さんとこんなことしたよ

家族で遊びに行ったんだ


一見、なんてことない話のようですが

家の中でも外出しても

当たり前のように暴言があるため

そこには触れず

わたしは常に

気を張っている生活で

「わたしは幸せである」と

思い込もうとしていました



こんな生活を5歳から

していました


父からのDVは

母のみならず

わたしや弟妹も巻き込みます

が、しかし

わたしは弟妹には手出しさせないよう

細心の注意を払っていたので

母とわたしはDVを受けていても

弟妹たちへの実害は

少なかったと思います



少しでも父の機嫌が悪ければ

物が飛び、壊れ、吹っ飛ばされ

痣ができる生活でしたので

自然と父の顔色ばかり伺うこどもに

なっていましたし

無闇に父を否定したりもせず

母と弟妹を守るため

わたしが緩衝材となり

DVが発生しそうになる前に

父の意識反らし、ではないですが

敢えて違う話題を振ったり

父を褒めたりして

父の機嫌を取っていました




父も母も家族の縁が薄かったため

お互いの実家もなく

幼少期から

とても苦労をしたのだと

聞いていました


それぞれがこころに傷を負い

癒えぬまま

若くして親になったのだと思います


母には頼れる人も大変少なかったので

父からのDV内容や愚痴を

わたしが聞き、相談を受け

アドバイスをするということを

小学生時代にはしていたと思います



中学生になり思春期を迎える頃

わたしも自己主張が強くなっており

父へ「あなたは間違っている」

と言うようになっていました


父との口論が絶えず

それが20歳を過ぎても

口論の数はあまり減らなかったと思います

口論の理由は

家族へのDVや暴言を止めて欲しい

という内容ばかりでした


父は格闘技の有段者ではありましたが

何回か殴り合いの喧嘩に

発展したこともあり

目を殴られた際

顔面は青痣に腫れはしたものの

目の裏側に怪我をした割に

大きな後遺症はなく

飛蚊症程度で済んだり

階段から蹴落とされたりしても

怪我ひとつ無かったことは

とても幸運なことでした



それでも母や弟妹が

父になにか話をする際は

わたしが話をしたほうが

リクエストが通りやすかったので

(父を褒めながら話すスキルが高かった)

父へのリクエストを含め

交渉事はすべてわたしが行っていました


交渉が決裂したとしても

被害が自分に向くだけで済むなら

それでいいし

それが最良だと思っていました




わたしが成人する頃になると

さすがにDVの影響で


自己肯定力が異常に低く

「ごめんなさい」が口ぐせ

人との接し方が

まるでわからない大人になっており

成人男性の大声がとても苦手で

萎縮してしまい

身体が動かなくなっていました


なにか、人と話す前に

相手の表情や仕草で

ある程度、感情を

察知することができてしまい

外側(表情)と内側(話す内容)の

ギャップが埋まらなくて

何を話せばよいか

わからなくなっていましたが


「社会に出れば条件はみな同じ」

「他人のバックボーンは関係ない」

と言い聞かせ

機能不全家族、ということばを知り

独学にはなりますが

アンガーマネジメントや

自律神経失調症の勉強し

最近になってようやく

ある程度までは

克服できたように思います


とはいえ

まだまだ出来ないことも多く

会社や友だちにさえ

なにかお願いすることで

迷惑をかけるのではないか

と迷ってしまったり

自分が頑張ればそれでいいと

考える癖が抜けにくかったりします


先日、仕事の忙しさとストレスから

会社で倒れたことをきっかけに


人に頼っていいんだ

ありがとうをたくさん伝えよう


と思えたことで

これらも少しずつではありますが

認知行動療法の勉強や

こころとからだの調整をしながら

目下、練習中です





妹とは年齢が離れているせいか

無条件にわたしの庇護対象でしたし

妹の成長を近くで見守っていたので

おかしな話なのですが

わたしにとっての子育ては

妹で完結している感覚です



そんな妹に

こどもが出来まして

もうすぐ4歳になります


妹のこどもは

見た目が妹にとても似ていて

仕草さえも似ているので

当時の妹を見ているようです


そんな妹にそっくりな孫を

わたしの父が

相手をしている姿を

偶然、実家で目撃しまして


孫に対して

まるで癇癪を起こさない父

どこにDVスイッチが

あるかわからない父が

孫に何をされても

何をしてても

穏やかに過ごしているのです



少し離れたところに居た母に

小声で聞きました


孫には手を上げないのか?、と


母からは

何をされても、何もしないし

笑っているだけなの

嘘みたいな話でしょう


そんな返答をされると思っていない

わたしは

ただただ戸惑ってしまいました

色んな感情が絡み合って

立ちつくしていました




妹のこどもは

父が大好きだそうで

いつも一緒に遊んでくれる人

という認識だそうです


どうか、このまま

大好きなじぃじのままでいて欲しい







その反面わたしのこころは

ぐちゃぐちゃに掻き乱されていました


孫は別だと聞くけれど本当なのだろうか


妹のこどもが

もっとおしゃべりするようになったとき

父は突発的に暴力を振るわないだろうか


父の接し方は

わたしたちが幼かった頃と

実は同じだったのだろうか




視界がぐにゃりと曲がり

吐き気がしました



ワタシガ ウケタ キズ ハ

ナンダッタノ


ワタシノ キズ ハ

ナイモノ 二 ナッテイルノ







辻村深月さん著/家族シアター

短編小説に

「タマシイム・マシンの永遠」

という話があります

 


タマシイム・マシンは

元はドラえもんのひみつ道具でして

過去に戻れる、というもの

(映画ドラえもん、STAND BY ME 2 にも登場したかな)



この小説では

親になった自分が

自分のこどもに対応する

両親や家族を見て

自分の幼い頃の記憶が

急に呼び起こされ

こうやって無償の愛を

自分も受け取っていたのだろうか

この愛は永遠に

受け継がれていくものかも知れない


という内容だったと思います

(かなり昔に読んだので違かったらごめんなさい笑)



今回、実家へ行き

計らずも父と妹のこどもの

一部始終を目撃したことで

強烈に思い出した作品が

「タマシイム・マシンの永遠」でした

家族シアター (講談社文庫) [ 辻村 深月 ]

 

毒親育ちのわたしにとって

「タマシイム・マシン」なんてものは

あったところで

絶対に使いたくないアイテムで


親に都合の良い愛は

自己愛だと

今でも感じてしまいます



小説にある

「タマシイム・マシンの永遠」

のような

優しくも幸せな思い出が

ある人のことが羨ましく

 

羨ましがったところで

わたしの幼少期は過ぎたもの

手に入らないものなので

まぁいいか、とも思うし



わたしは比較的小さな頃から

記憶が残っているほうなので


当時はことばに出来ずとも

いづれ大人になれば

内容を理解するときがやってくる


妹のこどもには

ことば以外に

表情でも態度でも

「大好き」を伝えたい




バイバイするとき

妹のこどもに、お願いをしました


もうすぐバイバイしなくちゃいけなくて

わたしは○○○(こどもの名前)と

会えなくなるのは

とても寂しいから

ギュッて抱っこさせてもらっていい?


妹のこどもは

そういことなら仕方ないな

(という表情で笑笑)

わたしにギュッとされて

抱っこされてました


抱っこさせてもらったあと


妹のこどもに向かって笑顔で

ありがとう、、、


自然と口から出ていました



無理なお願いだったかしら

ごめんね

大好きだから

あなたを大事にしたいのよ




わたしの

ぐちゃぐちゃな感情は抜きにして


妹のこどもには

スクスクと真っ直ぐに

育ってもらえたらなぁ、と願っています







やっぱり長文になっちゃったし

何が言いたいか

よくわからんものに

なってしまった。笑笑




最後までお付き合いしてくださった方

ありがとうございます


この記事について

コメントを頂いても

多分、お返事に

時間がかかってしまいます


こんな記事なのに

おことばをかけてくださろうとした

その感謝の気持ちのお礼が

簡単な文章になってしまうと

思うのです


ずっと考えてて

モヤモヤして

自分でも答えを出せなくて

それでも出せないなりに


いまの自分が考え

思い浮かぶことを

ただ書き記したものなので

なんとお応えしていいかも

わからないのです



いつもありがとうございます

ここまで暗い内容の記事は

書かないようにしていたのですが

幼少期がフラッシュバックして

混乱していたのでしょうね。笑笑

こんなことも、まぁあるのかな?笑


次の記事からは

たぶんいつもの

元気な??笑

内容に戻りますので

安心してください!!笑



いまは考えるのを止めたし

お腹もお薬飲んで痛くないし

けっこう元気ですウインクラブラブ

ありがとうございます