お寺で「秋彼岸のお施餓鬼」があった。
でも、
今回は・・・
行かなかった。
前日の夜までには
お墓参りの掃除道具などを準備して、
あとは出かけるだけ!
に してあったんだけどね。
夜眠る その瞬間まで、
「明日はお彼岸のお施餓鬼に行ってお墓参りする」
つもりでいたんだけど・・・
目覚ましの音で目が覚めた その時に、
「腰痛」を感じた。
このところ ずっと、
「腰痛」は 感じなくなっていたのに。
すごく久しぶりに、
昔 悩まされていた、あの場所が、痛い。
重〜くて、鈍い痛み。
この腰痛は、「自分の “ 心の声 ” だ」と思った。
自分が、
心から「やりたい」と思うのではなく、
「○○しなきゃ!」って思っているとき。
自分の本音、
「ほんとは○○したくない」が
「体の痛み」として現れる、
というのは よくある事。
布団の中で、
「私、お寺に “ 行かなきゃ! ” って思ってるんだ」
と思った。
「お施餓鬼だから、行かなきゃいけない」
「お塔婆をお願いしてあるんだから、行かなきゃ」
「私が行かなきゃ ならないんだから」・・・
「お墓参りに行く」というよりも、
「お彼岸だから」
「お彼岸のお施餓鬼があるから」
「お塔婆も頼んであるんだから」
だから、「 “ 行かなきゃ ” いけない!」
って思ってる感じ・・・
ぢんさんは いつも、
「やりたい事が分からない人は、
先ずは『○○しなきゃ!』と思うことをやめよう」
って言ってる。
私も最近は、
「○○しなきゃ!」と思うことをやめる、
が 出来るようになって来ていたのに。
「お寺に行かなきゃ!」
って思っていたんだなぁ。
暫くの間
布団の中で “ 考えて ” いたけど。
「○○しなきゃ いけない!」は やめよう、
と 決心出来た。
( 以前は、こんなに早く決心出来なかったよね )
今は、
「自分を大切にしてあげること」を
練習するときなんだ。
布団を抜け出して お寺に電話して、
「腰の痛みが辛いので、欠席します」
とお伝えした。
普段は忙しくて 寺務所の電話に出ることのない
ご住職が出られたので、ビックリしたけど。
「大丈夫ですよ。お大事にして下さいね。」
と言って下さった。
「わざわざ、欠席の連絡をしなくてもいいのかも」
とは思ったけど。
「他の檀家さんの中には、
連絡もせずに欠席する人も居るだろうなぁ」
と思ったけど。
今回は、
「体が教えてくれたこと」を
しっかりとキャッチして、
お彼岸のお施餓鬼には行かないということが、
一番大事なことだから。
電話連絡をしない、というバンジーは
飛ばないことにしたよ。
ご住職にお伝えしたら、
気持ちはスッキリしたなぁ〜。
電話連絡したら、
「腰痛が消えるかも!?」
なんて思ったけど、
そんな事はなかった。
そのあとは、
気が済むまで 布団の中で過ごし、
お腹が空いてから遅い朝ごはん?を食べて。
「○○したいなぁ」と感じたことをして、
またお腹が空いて、
「私は 何を食べたいんだ?」と体に訊いて
「カップラーメンが食べたいんだ〜♬」
って分かったから
カップラーメン食べて。
いつもと変わらない時間を過ごした
「お彼岸のお中日」だったけど、
以前のような「罪悪感」は感じなかった。
いつもなら、
春と秋のお彼岸とお盆には
お寺のお施餓鬼に行ってお墓参りをするのが、
「当たり前」だった。
体調が悪くて欠席することも
たまには有ったけど、
そういう時には「罪悪感」を感じていた。
それが、
今回は「罪悪感」を感じなかった。
「お施餓鬼に 行ってもいい」
「お施餓鬼に 行かなくてもいい」
どちらを選んでも、いい!
やっと そう思えるようになって来たのかなぁ〜。
ここまで書いていて やっと気づいた。
「お墓参り」をするだけなら、
「腰痛」は 出なかったかもしれない。
「お寺のお施餓鬼」は、
日にちと時間が決まっている。
遅刻して行くにしても、
「遅くとも ○時には起きなきゃ!!」
が、ある・・・
これが、
今の私には ストレスになったのかもしれない。
「○○しなきゃ!」は、
「○時までには 起きなきゃいけない!!」
だったんだ (>人<;)
「○○しなきゃいけない!」
と思うことは、やめてみる。
「○時に 起きなきゃいけない!」を、
やめること。
コツコツ練習あるのみ、だなぁ〜。