東京大学大学院総合文化研究所教授、ロバート・キャンベル氏の講演を今日は聴きに行きました。
これは、娘が通う高校の後援会が主催したものでした。
キャンベル氏は日本人以上に日本の文化に造詣が深いことで、テレビなどでも知られています。
今日も、私たちには読めない漢文を現代語訳してくれたり、それをさらに英訳してくれたり…
縦横無尽な知性とセンスに、場内が湧きました。
ところで、ここ10年あまり醒めることのない、世の中の「自己啓発」熱。
江戸時代の私たちの祖先も実はこの「自己啓発」が大好きだったようで、より良い生き方を考察する書物が数多く書かれたのも、この江戸時代でした。
文学史には、刹那的な「好色物」や「心中物」ばかりが挙がりますが、実際はそれだけではなかったのですね。
当時の考え方をまとめると、次のようになります。
・「苦」と「楽」は別々のものではない。「人生、楽ありゃ苦もあるさ」のように、人は「苦」と「楽」が常に循環する流れの中に生きている。
・「甘味」を味わい過ぎると、それは口の中で「苦み」に変化する。「苦」にも「楽」にも偏らない、中庸が大事。
「上へ、上へ」と駆り立てる昨今の自己啓発と違うのは、江戸時代にはご存知のとおり、「士農工商」という階層があったからでもあるでしょう。
しかし実際は、当時の人びとの心は、必ずしも身分に縛られてはいなかったのです。
それよりも、思いどおりにはならない現実を過ごしながら自分の内面を見つめ、「幸せとは?」ということを、日常生活の中に見出そうとしていました。
橘曙覧という歌人が書いた「独楽吟」には、「たのしみは…こういう時」という項目が延々とつづられています。
その中でいちばん多いのが、家族と一緒にいる時を歌ったものでした。
家庭の中にこそ、家族とのすれ違いや心の問題が蓄積されているのですが、だからこそ…
「たのしみは妻子(めこ)むつまじくうちつどひ頭(かしら)ならべて物をくふ時」
家族揃って無事に食事を囲む時間に、なにげなくも格別な幸せ感じるものなのでしょう。
このこと、どの時代であっても同じですね。
これは、娘が通う高校の後援会が主催したものでした。
キャンベル氏は日本人以上に日本の文化に造詣が深いことで、テレビなどでも知られています。
今日も、私たちには読めない漢文を現代語訳してくれたり、それをさらに英訳してくれたり…
縦横無尽な知性とセンスに、場内が湧きました。
ところで、ここ10年あまり醒めることのない、世の中の「自己啓発」熱。
江戸時代の私たちの祖先も実はこの「自己啓発」が大好きだったようで、より良い生き方を考察する書物が数多く書かれたのも、この江戸時代でした。
文学史には、刹那的な「好色物」や「心中物」ばかりが挙がりますが、実際はそれだけではなかったのですね。
当時の考え方をまとめると、次のようになります。
・「苦」と「楽」は別々のものではない。「人生、楽ありゃ苦もあるさ」のように、人は「苦」と「楽」が常に循環する流れの中に生きている。
・「甘味」を味わい過ぎると、それは口の中で「苦み」に変化する。「苦」にも「楽」にも偏らない、中庸が大事。
「上へ、上へ」と駆り立てる昨今の自己啓発と違うのは、江戸時代にはご存知のとおり、「士農工商」という階層があったからでもあるでしょう。
しかし実際は、当時の人びとの心は、必ずしも身分に縛られてはいなかったのです。
それよりも、思いどおりにはならない現実を過ごしながら自分の内面を見つめ、「幸せとは?」ということを、日常生活の中に見出そうとしていました。
橘曙覧という歌人が書いた「独楽吟」には、「たのしみは…こういう時」という項目が延々とつづられています。
その中でいちばん多いのが、家族と一緒にいる時を歌ったものでした。
家庭の中にこそ、家族とのすれ違いや心の問題が蓄積されているのですが、だからこそ…
「たのしみは妻子(めこ)むつまじくうちつどひ頭(かしら)ならべて物をくふ時」
家族揃って無事に食事を囲む時間に、なにげなくも格別な幸せ感じるものなのでしょう。
このこと、どの時代であっても同じですね。
あなたにしか出来ない子育てのために