こんにちは!
今週末は読書会ウィークで〜す^ ^
 
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今日はコンプレックス読書会!
(文学部出身者のメンバーが学生時代に読まなかった・挫折した文学作品を読む読書会です)
自分のデコが光ってる・・ぴかぴか・・笑
 
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課題図書は夏目漱石『草枕』。
岩波文庫版を手に取りました〜
 
 
『草枕』は30歳の画工(えかき)の「余」が、都会から逃れて山奥の温泉場へ逗留する物語です。
 
 
「余」は人の世の煩わしさから逃れて「非人情」の意識で芸術に向き合うべく温泉場へ向かうのですが、雨宿りで立ち寄った茶屋のお婆さんから、逗留する予定の宿屋には少し変わった女性がいると聞かされます。
 
 
その女性は器量よしだけれど訳ありな過去があり、ふたりの男に言い寄られた結果身を投げてしまった「長良の乙女」という、その地に言い伝えられている女と境遇が似ている…と言うのです。
そして実際に宿屋へ到着してから「余」はその女性にしばしば驚かされます。
 
 
その女性は那美さんと言い、「余」のスケッチブックに書きつけた詩を添削したり、夜ふけの庭やお風呂場などあちこちに突然あらわれて「余」を驚かせます。
「余」は那美さんの挙動に驚きつつも、彼女の癖のある人柄に画の題材として興味を持つのでした。
 
 
そうして「余」は山の自然に触れたり那美さんや和尚さんなど現地の人々とふれ合ったりしながら、自身の画の構想を練り、芸術への思索を深めていきます。
ある日、山の中でひとつのモチーフが浮かび、モデルに那美さんの姿が浮かぶのですが、表情が決め手に欠け、どのように描くか悩みあぐねてしまいます。
 
 
逗留生活が長くなり、那美さんも「余」にだいぶ親しみを感じた様子で接してくるのですが、ある日「余」が山の中で思索にふけっているときに那美さんと見知らぬ男が逢い引きをしている場を目撃し、それがのちに「余」の画の構想の完成につながっていくのです……。


まず補足ですが、「余」が描こうとしている画は西洋画のモデルがあり、ミレーのオフィーリアという絵画の日本版を描きたい、と作中で明言されているので、ぜひ画を観てから物語を読んでみることをおすすめします。
(↑この画を観ながら読むと味わい深さが増します…)
 
 
この物語は冒頭がとても有名で、入試の問題にも使われているそうです。
 
 
「山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹(さお)されば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」
(7頁)
 
 
ハッとさせる格言であり、テンポ良く読むことのできる名文・美文です。
読書会メンバーに指摘されるまで気づかなかったのですが、七・五調になっていてすごく読みやすいんですよね。
『草枕』では詩についても持論を展開する場面が多々あり、注意して読むと句読点の打ち方や言葉の選び方にかなり工夫が凝らされていることがわかります。
 
 
「余」の芸術への思索の描写が多く、抽象的な物言いが続くのですが、それでも読みやすいと感じたのはリズム感の巧みさがあったからだと感じました。
 
 
この物語全体を通してわたしが感じたのは「瞑想的な小説だ」ということです。
 
 
「余」は山道の自然に触れて、しばしば自分の世界に入り込みます。
自分の世界に入り込むとき、自然と一体化したような、同化したような感じを懐くのですが、それはまさしくマインドフルネスの状態ではないかと思ったのです。
 
 
そうすると「非人情」は「感情にとらわれない」ということと解釈ができ、「余」はそういう瞑想状態を求めて温泉場へやってきたのだろうか?と考えが及びました。
そして温泉場で出会ったのは、落ち着いた「余」に興味を持ち、気を引くような“人情的”挙動を見せるお那美さんで……。
那美さんとの掛け合いがあることで「余」の瞑想的な「非人情」がより際立つように描かれているとも感じました。
 
 
この物語の初出は1906年。
瞑想・マインドフルネス的小説だと考えると、『草枕』は時代を先取った(瞑想の起源は諸説ありますが、1960年代ごろから提唱されるようになったとか)画期的な小説だったのではないかと思いました。
 
 
読書会ではこの持論を話しつつ感想をシェアしていたのですが、みんな(写真には映っていないけれどもうひとりいます)に共通したのは「今だからこそわかる」描写がある、ということです。
 
 
浮かれた10代(笑)のときには「人の世」の煩わしさや、煩わしさから逃れて自然に触れる……ということがどういうことかよくわかっていなかったと思います。
30代だからこそ「余」の言うこと(冒頭の格言など)が染み入り、深く読み込むことができたのではないかなぁと思うと、今だからこそ読書会をやる意義があったなぁと嬉しく感じました。
 
 
また、「非人情」の解釈は諸説あると思いますが、「非人情」を意識して温泉場へ来た「余」が果たして「非人情」を貫いたかというと、そうではなかったと感じました。


「余」が「非人情」を求めたのは、余裕を持って芸術に向き合い、煩わしい「人の世」とのバランスを取るためだということが作中で語られています。
つまり、煩わしい「人の世」があるからこそ芸術の尊さが噛み締められるということで、結局「人の世」から一切離れることはできないのです。


だからつとめて「非人情」でありつつも「余」は那美さんの「人情」を観察し、「人情」と距離を置きつつも「人情」から芸術を見出そうとしていると感じたのでした。
 
 
社会のしがらみはどこに行ってもついて回るものだからこそ、自然に触れてリフレッシュして自分の心のバランスを整えておかなくちゃ……と思うのは、いまではかなり自然なことですよね。


そういう意味では『草枕』は自分の心のバランスを取り戻すためのリフレッシュ小説とも読めるかもしれません。
 
 
そう読めるのはやっぱり30代だからこそかなぁ、と話しながら思ったのでした。笑
実際に温泉に行ってリフレッシュしながら読むと響くものがあるかもしれませんね♨️
 
 
夏目漱石は高校生のときにどれかしら読むだろうと思いますが、漱石の作品は大人になるほど読みごたえの変わる、味わい深い作品なのではないかと思います。
ひさしぶりに漱石を読みたくなった大人の方には、ぜひ『草枕』をおすすめします!
 
 
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