この物語を読んで、
「こころよく 我にはたらく 仕事あれ それを仕遂げて 死なむと思ふ」
という、石川啄木の一句を思い出した。

仕事とは何か、なんて、社会人8年目の自分が偉そうに言えたものではないけれど、
やはり「誰かの役に立つこと」が仕事の大前提だと思うし、誰かの役に立ったと思えるから自分も「仕事したなぁ」という気分になれるものだと思う。

この物語の主人公は、23歳のガラス清掃員の翔太。
就活で挫折し、なかばヤケクソでこの仕事を選んだ翔太は、すっかり慣れてしまった高層ビルの窓ガラス清掃をしながら生きる気力を失いかけていた。

高層マンションの住人は、ゴンドラに乗って外面の窓ガラスを拭く作業員なんて目に留めない。
職業柄いろんな部屋を覗き見ることができるし、病院では窓越しの会話があったりしてちょっとした面白みはあるものの、基本は誰も自分のことを「いないもの」として生活している。

窓ガラスを拭きながら、翔太は頭の中で「あの人」と会話をするのが癖になっていた。
「あの人」とは翔太の職場の先輩で、ある日作業中にロープが切れる事故が起こり亡くなってしまった人だ。
翔太は人があっけなく死んでしまうことを目の当たりにしたときに、何かがふっきれてしまったように生きる気力をなくしてしまった。
キャリアアップも人生の目標も何もなく、ただ日々の生活のためだけに淡々と作業をこなす日々を送っていたのだった。

しかし、ある日翔太に転機がおとずれる。
とある高層マンションの清掃作業中に翔太はひとりの老婆と目が合う。
翔太にとっては最悪のタイミングで目が合ってしまったのだが、なぜか翔太は吸い寄せられるようにその後老婆のマンションへ通い詰めるようになる……。

老婆との出会いは、翔太に爆発的な行動力をもたらした。
とはいえ、この「行動」については良いものとは言えない。
翔太は老婆から「作業中に見える部屋の写真を撮ってきてほしい」と頼まれたからだ。
あきらかに犯罪だが、ぐんと弾んだ報酬は出るし、ボンヤリ生活していたころよりは日常にハリを感じられるようになっていた翔太は、老婆のために写真を撮り続ける。

翔太は老婆の名前を知らないし、老婆も翔太の名前を知らない。
ふたりの間にあるのは「仕事」だけ。
だがそんな奇妙な関係性は翔太にさまざまな変化をもたらすのだった。

この物語を読みながら、翔太は老婆からの頼み事をやってはじめて「仕事」をした気分になったんじゃないだろうかと思った。
やっていることは犯罪だし、名前も知らないふたりが密会するのもはなはだいかがわしいが、きっと翔太は老婆の喜ぶ顔がただただうれしかったんじゃないかと思う。

翔太は老婆に出会う前、「あの人」と脳内で会話を続けながら、自分の無力さにうちひしがれていたのだと思う。
わたしも似たような思いに駆られたことがある。
社会人になりたての頃、自分のあまりのできなさに悶絶した記憶は忘れられない。

無力が度を過ぎると、今度は何事も無意味に感じられてくる。
こんなことして何の意味があるんだろう。というような。

でも、社会人を8年ほどやって少しずつわかってきたのは、「生きる意味」のようなもの(あるのかどうかはわからない)は、自分で勝手に見出していかなきゃいけないということだ。

最終部で翔太はきっとそのことにぼんやりと気がついたんじゃないかと思った。
老婆との出会いは、「こころよく我にはたらく仕事」を見つけるための飛び込み台みたいなものだったんだと思いたい。

誤読だったらはずかしいけれど、思い切った自分の読みを書きました。
芥川賞候補作も残り一作品です!