感動した。
感想文はこの一言に尽きる。そんな一冊を読んだ。

この本は、お笑い芸人の著者が自分の内面に徹底的に向き合ったエッセイ。

著者はなかなかに不器用で、自意識過剰だ。
長い下積み期間を経て30歳で「M-1グランプリ」2位を勝ち取り、ようやく社会人の仲間入りを果たした著者は、社会で「常識」とされていることに違和感を感じたり、人目(とくに女性)を気にしすぎて挙動不審になったりしていた。

このエッセイでは芸能界という華々しい環境と自己の内面とのギャップや社会に合わせられない理由を徹底的に分析し、著者なりの考察が書かれている。
いま、こうしてさらっと書いたけれど、「徹底的に分析」とか「考察」とかって、そんな簡単にはできない。
自分自身のこととなると言い訳をして逃げがちだ。
それをせずに向き合い続けた著者のエネルギーに感服した。

そしてもうひとつ思ったことは、エッセイって、勝手気ままに書く「日記」じゃないということだ。
自虐ネタをさらけ出す、中二病の公開処刑でもない。
「街頭演説」ばりに、自分の思いを不特定多数の人に届ける行為なんだということを痛感した。
(本書の冒頭から「街頭演説」という例えが使われていて、のっけから鳥肌が立った)

本書では、著者が自分の情けない内面と向き合い、少しずつ不器用を「飼い慣らす」コツをつかんでいく軌跡が描かれている。
あくまで不器用を治すのではなく、「飼い慣らす」なのだ。
著者は自分の内面とのたたかいの末に、「自分を変えようとせず、このままでハッピーになれる工夫をしよう」と決意する。
それは、「自分を受け入れる」ことと同じことだ。
そうして著者は少しずつコツをつかみ、自信をつかんでいく。
「あとがき」を読んで、著者のあまりの成長度合いに泣きそうになってしまった。

ひとつひとつのエッセイは、文章量も多くなくてとても読みやすい。
自分の身の回りのできごとを語り、内面を分析するオーソドックスなスタイルだが、わたしも著者と同じく自意識過剰なので頷きどころが多く、また文章量が多くないのにグッとくる内容が多かった。

それは芸能界にいるという環境のインパクトによるところも大きいと思うけれど、エッセイひとつひとつから、一突きで読者の心をつかもうとする著者の心がまえを感じた。
どういうことかというと、著者の文章は「イタイ」ところがなかった。
どんな恥ずかしいことであってもきちんと「ネタ」として昇華し、読者にフフッとニヤケさせるひとときを提供していた。
それはお笑いの作り方と一緒なのかもしれない。著者のネタ帳をのぞき見させてもらっている気分になった。

読み終わって、ブーメラン的に自分の文章について考え込んでしまった。
ライティングゼミに通い、文章力向上のために鍛錬しているとはいえ、わたしのブログは質にムラがあってまだまだ未熟だ。
たまにブログを読み返して「おっ、けっこう熱いこと書いてるじゃん」と思うこともあれば「このブログはイタイかなぁ~」と頭を抱えることもある。

「イタイ」の基準は何かというと、「勝手気まま」な度合いの高さなのかなと思う。
自分の思いついたことをバーッと書いたブログは、ちょっとだけ「お前誰やねん(芸能人でもないのに、という意味)」感が出る。
もちろんこれはわたしのブログなので思いっきり自分語りするときもある。けれど「読書ブログを読みに来たのに、これってなんの時間?」となってしまうとブログの質は落ちる。

著者のエッセイを読んで、自分の文章をもっと「おもしろい」ものにしたい、自分のブログを読んでくれた人の時間をより良い時間にしたい、と強く思った。

話は少しそれるが、最近、読書ノートをつけている。
最近話題の南海キャンディーズの山ちゃんも、そしてオードリーの若林(なぜか呼び捨て)も、みんなもれなくノートを作っていた。
おもしろさを突き詰めるには、やっぱりノートが大事なんだろう。
ノートをとって、自分と向き合い続けることが大事なんだろう。

わたしも、もっともっとおもしろいを追求したい。


★個人選書サービスはじめました

詳細はこちらからどうぞ!