今まで「茶道なんて贅沢な娯楽じゃん」と軽率に思っていてすみませんでした。
茶道は贅沢な娯楽などではなく、ものすごく合理的で日本らしい「道」だった。
茶道の世界に呑みこまれた。
 
本書は著者の25年にも渡るお茶のお稽古人生を振り返った一冊。
茶道はとにかく「形」が命。ものすごく複雑で細かい手順を習い、身体に染みこませる。
先生は考えたり暗記したりすることを禁止し、とにかく手が勝手に動くようになるまでお稽古を繰り返す。
著者もわたしも「考えてはいけない」ということに驚く。お茶は「感じる」世界なのだ。
 
先生に憧れ、「お茶、いいかも…」(25頁)と気軽に始めたお茶の世界は、わたしがイメージする優雅で贅沢な雰囲気はなく、ただひたすら厳しい作法をたたきこむ「修行」の世界だった。
読みながらお稽古の過酷さにため息をつく。けれど著者はお稽古をひたすら繰り返すことで、身体がついてくるようになる。
 
著者は次第にお茶の道に魅了されてゆく。
何度も間違えるけれど徐々に作法が身体に染みこんでいく嬉しさや季節を五感で感じられる快感が語られ、著者はお茶は「感じる」ものなのだと身を持って実感する。
お茶への接点が一切なく生きてきたわたしでも、「お茶、いいかも…」と思わせるほど著者の幸せが伝わってくるのだった。
 
お茶の世界で興味深く思ったのは、お茶は季節を感じるものであると同時に、「無」を体感するものでもあるということだった。
 
「私をさえぎるものは何もなかった。
手順を間違えてはならないという緊張も、抱え込んだままで常に気にかかっている仕事も、今日帰ったらしなければいけない用事も、何もなかった。
自分はもっと頑張らなくてはダメだという思いも、他人から好かれ評価されなければ自分は無価値なのではないかという不安も、人に弱みを見られたくないという恐怖感も、消えていた。
(中略)
してはいけないことなど、何もない。
しなければいけないことも、何もない。
足りないものなど、何もない。
私はただ、いるということだけで、百パーセントを満たしていた。」(215頁)
 
お点前に集中する。五感を研ぎ澄ませ、極限まで集中すると、そこに「無」があらわれる。
引用の「無」の描写に痺れる。わたしもこんな「無」を味わいたい。
著者はお稽古に行く前はどこかいやいやな気持ちなのだが、お稽古が終わると「行って良かった!」という清々しい気持ちに変わるのは、「無」になるまでお茶の時間に没頭したことで心の荷物が軽くなるからなのだろう。そして点てられたお茶と和菓子に癒されるからなのだろう。
 
茶道は娯楽ではなく、生の感度を極限まで高めた生き方を「道」にしたものだった。
わたしも生きる感度を高めて生きていきたい。お茶をやるかというとまだ腰は重いが、いつかやるかもしれない。
茶道の魅力を存分に感じた一冊だった。
 
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書きながらお腹が空いてきた。あたたかいお茶と甘いお菓子が食べたくなってきた…。