忘れた頃にやってくる日本文学読み直しシリーズ。

遠藤周作「沈黙」は、江戸時代のキリスト教弾圧が最も激しい頃に日本にやってきた2人のポルトガル人司祭の悲劇的で凄惨な物語。

2人の司祭、セバスチァン・ロドリゴ司祭とフランシス・ガルぺ司祭の来日のきっかけは、彼らの恩師・フェレイラ司祭が日本で拷問を受けた末に棄教させられたという知らせが入ったからだった。神学的才能に溢れた恩師が、殉教ではなく、棄教するだなんて信じられない。司祭たちはその真相を突き止め、かつ日本の布教の灯を絶やさないという強い使命を持って日本へ“潜入”する。

当時の日本は島原の乱が鎮圧され、キリシタン弾圧がさらに厳しくなった頃で、日本にいるキリスト教聖職者は国外に追放され、それでもめげずに潜伏している司祭や信徒は次々と役人に捕らえられ処刑されていた。
ロドリゴ司祭とガルぺ司祭は恩師と布教に対する熱い想いを抱きつつ日本に潜入するが、日本では2人の想像を絶するほどの苦悩と絶望が彼らを襲うのだった…。

無宗教のわたしはこの物語に容易に共感できないけれど、2人の司祭の行く末とロドリゴ司祭の心情がことこまかに語られ、最後まで司祭に感情移入するばかりだった。

2人の司祭は決死の潜入もむなしくあっけなく捕らえられてしまう。
あまりにもむごい拷問の末に棄教を迫られる場面、ロドリゴ司祭は絶望の淵に追い詰められ、祈ることしか出来ない。そのような状況においても「沈黙」を貫く神に、ロドリゴ司祭はさらに苦悩し、なぜあなたは黙っておられるのか、と神に問うことをやめられないのだ。

神学的考察はその道の研究者に任せるが、歴史の教科書でさらりと習う「キリシタン弾圧」は江戸幕府の政治的背景と踏み絵の説明くらいしか語られず、拷問のむごさと司祭の情熱、他者を裏切る人間の弱さを思い起こすことはない。けれどこの物語は間違いなく史実で、統治のためとは言え「多様性を受け入れる」ことの欺瞞を感じずにはいられない。
「話せば分かる」と簡単に言えたもんじゃない。と崔実『ジニのパズル』を読んだ時と同じような感想が浮かんだ。

苛烈な迫害の中で自分の信念を曲げざるを得ない時の屈辱と絶望は計り知れない。
後味の良い作品ではないけれど、最後までのめり込んで読んでしまった。読後の悶々とした気持ちがいつまでも胸に残っている。

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