はしぐちのりこです。


今日(もう終わりかけていますが)は8月6日。

広島原爆の日。

毎年やってくるこの日ですが、今年はこれまでとは違う気持ちで報道に接していました。

何の前触れもなく、一瞬にして、家族や仲間が亡くなった日。

地獄のような境地に、たくさんの人が陥った日。

遺された人達が、その後、どんな風に気持ちと折り合いをつけ、受け入れながら生きてきたのか。

それを知りたくなりました。

今までの私は想いを馳せなかったところです。


* * *


「生きているだけですごいこと」

いろんな方がそう言っていて。

でもこれまでは、「正しい答え」のように感じられて、どこか受け入れ難い自分がいました。

「そうだねぇ」と言いながら、抵抗感がありました。



でも、今、本当に、「生きているだけで、すごいことなんだなぁ・・・」と、心から思えるようになってしまいました。

お金のありなしとか、
家族のありなしとか、
職のありなしとか、
肩書のありなしとか、
人気のありなしとか、

どうでもよくて、

生き続けているだけで、まずは「すごいこと」なんだなぁ、と。



そしてね。

ぢんさんがよく「病気になっても、病人になるな」って言ってるじゃないですか。


これを自分にあてはめてみると、

「不幸があっても、不幸な人になるな」

なんですよね。


息子が亡くなったことは不幸なことだけど、
不幸であり続ける必要はないってこと。

息子が亡くなったことは不幸なことだけど、
幸せを望んでもいいってこと。



不幸で悲しいという感情は持っていても、
幸せになる価値があるし、あっていいってこと。

なんだなぁ・・・と思ったのです。



幸せになろうと努力したっていいはずなんですよね。

私には幸せになる価値がないって思い込むな、ってことなんです。




不幸なことはあったけれど、
その悲しみを抱えながら生きるってのは、
幸せになることを諦める、というのとは違うと思うのです。



幸せになりたいと欲するのは、別に悪いことじゃない。
幸せになることは、悲しみがなくなることじゃない。


ほら、悲しみがなくなると、亡くなった人(息子)のことを忘れてしまうんじゃないかっていう恐怖心、ないですか?(笑)

私はありますよ( ̄▽ ̄)


でも、幸せになることは、悲しみがなくなること(息子のことを忘れること)ではないんですよね。


そんな風に、最近思いました。




今の私は、まだこれに気づいただけ。

だからといって、これに沿ってガツガツ動こうとは思っていませんし、そんな気力もありません(笑)

でも、心のなかで許可したので、それでいいと思っています。


そして、私にこんなことを気づかせてくれる息子って、やっぱりすごいなぁ・・・なんて思ったのでした(最後はちょっと親バカw)


あなたも、不幸な経験があったとしても、幸せになっていいんです^^

私と一緒に、そうつぶやいてみませんか?



はしのんでした。




新盆(初盆)法要、無事終わりました^^ ありがとうございました。