はしぐちのりこです。
少し久々のブログとなりました。
息子とお別れして、70日位(わかりにくい)。
四十九日くらいまでは、
「見えない騒々しさ」
がありました(笑)。
見えないながらも、
家の中にいるような感じ。
見えないながらも、
息子がその辺りをパタパタと歩いているような感覚があったのです。
外出するときには、
「ああ、一緒に来てるね」
と思えるような、息子のわくわく感を感じたり。
電車に乗った時は、
いつもみたいにドア窓の近くを陣取って、
外に見入っている気配を感じていました。
ええ、私はまったくもって、視えるヒトでも、聞こえるヒトでもありませんけど^^;
でも、なんというか、
そういう「見えない騒々しさ」みたいなのを、
私なりにも感じていたんですよね。
ところが、四十九日を過ぎたあたりから、
その
「見えない騒々しさ」
が、感じられなくなって。
「静けさ」だけがそこに残りました。
さらに遠くに行ってしまったような、
さらに自分の元から離れていってしまったような、
「もう一段階深い別れ」を感じていました。
さみしいけど、
これが成仏する、ということなのかな、なんて思いながら。
その頃、
「息子くんは、あなと共にいるから」
「Yくんは、ずっとはしのんと一緒だよ」
こういう言葉もよく頂いていました。
正直、???でした。
だって、その四十九日以降、
「一緒にいること」は、少なくとも私には感じられなかったから。
だから、なんか、こういう時は、そういう風に言うものなんだろうなぁー、くらいにしか、受け取っていなかったのです(ごめんね、この言葉をくれたみなさん・・・汗)。
今日。
自宅まで遊びに来てくれた、マスター同期のわこさんとこんな話になりました。
わこさん:はしのんは、Yくんのこと、思い出すってことがないでしょ?^^
・・・
・・・
・・・
私:
ああ!常にYのこと考えてるから?(笑)
わこさん:そうそう^^
そう、常に考えているから、忘れるってことがない。
忘れてるってことがないから、思い出すってこともない。
そんな必要がないから。
常に考えているから。
常に私の中にあるから。
・・・
もしかして、これが ”いつも一緒にいる”ってっ事?
もしかして、この感覚が ”いつも一緒にいる”ってっ事?
「そうかもしれないねー^^」って、穏やかに笑ってくれるわこさんがそこにいました^^。
いつも一緒にいるよ、っていうのは、
なんかこう、穏やかな感覚でつながっていて、
いつも私を見守ったり支えたりしてくれる、そんな仏のような息子の存在が感じることなのかと思っていました。
もちろん、そういうのもあるかもしれませんが、
それ以前に、
息子のことを思って、
泣いたり、悲しんだり、前に進もうとしてみたり、ひきこもったり、
そういう毎日そのものが、
「息子と一緒にいる」ってことなのかもしれない。
そんな風に思ったのです。
視える方、視えない方、諸説ありましたらどうぞ・・・
そんな風に思ったら、
「なんだ、私はすでに息子と一緒にいたんだ」
って、少し思えました。
もちろん、見えない、触れない、今までのようには感じられない悲しさと寂しさはありますが。
明日(もう今日ですが)は新盆法要です。
はしのんでした。

少し久々のブログとなりました。
息子とお別れして、70日位(わかりにくい)。
四十九日くらいまでは、
「見えない騒々しさ」
がありました(笑)。
見えないながらも、
家の中にいるような感じ。
見えないながらも、
息子がその辺りをパタパタと歩いているような感覚があったのです。
外出するときには、
「ああ、一緒に来てるね」
と思えるような、息子のわくわく感を感じたり。
電車に乗った時は、
いつもみたいにドア窓の近くを陣取って、
外に見入っている気配を感じていました。
ええ、私はまったくもって、視えるヒトでも、聞こえるヒトでもありませんけど^^;
でも、なんというか、
そういう「見えない騒々しさ」みたいなのを、
私なりにも感じていたんですよね。
ところが、四十九日を過ぎたあたりから、
その
「見えない騒々しさ」
が、感じられなくなって。
「静けさ」だけがそこに残りました。
さらに遠くに行ってしまったような、
さらに自分の元から離れていってしまったような、
「もう一段階深い別れ」を感じていました。
さみしいけど、
これが成仏する、ということなのかな、なんて思いながら。
その頃、
「息子くんは、あなと共にいるから」
「Yくんは、ずっとはしのんと一緒だよ」
こういう言葉もよく頂いていました。
正直、???でした。
だって、その四十九日以降、
「一緒にいること」は、少なくとも私には感じられなかったから。
だから、なんか、こういう時は、そういう風に言うものなんだろうなぁー、くらいにしか、受け取っていなかったのです(ごめんね、この言葉をくれたみなさん・・・汗)。
今日。
自宅まで遊びに来てくれた、マスター同期のわこさんとこんな話になりました。
わこさん:はしのんは、Yくんのこと、思い出すってことがないでしょ?^^
・・・
・・・
・・・
私:
ああ!常にYのこと考えてるから?(笑)
わこさん:そうそう^^
そう、常に考えているから、忘れるってことがない。
忘れてるってことがないから、思い出すってこともない。
そんな必要がないから。
常に考えているから。
常に私の中にあるから。
・・・
もしかして、これが ”いつも一緒にいる”ってっ事?
もしかして、この感覚が ”いつも一緒にいる”ってっ事?
「そうかもしれないねー^^」って、穏やかに笑ってくれるわこさんがそこにいました^^。
いつも一緒にいるよ、っていうのは、
なんかこう、穏やかな感覚でつながっていて、
いつも私を見守ったり支えたりしてくれる、そんな仏のような息子の存在が感じることなのかと思っていました。
もちろん、そういうのもあるかもしれませんが、
それ以前に、
息子のことを思って、
泣いたり、悲しんだり、前に進もうとしてみたり、ひきこもったり、
そういう毎日そのものが、
「息子と一緒にいる」ってことなのかもしれない。
そんな風に思ったのです。
視える方、視えない方、諸説ありましたらどうぞ・・・
そんな風に思ったら、
「なんだ、私はすでに息子と一緒にいたんだ」
って、少し思えました。
もちろん、見えない、触れない、今までのようには感じられない悲しさと寂しさはありますが。
明日(もう今日ですが)は新盆法要です。
はしのんでした。
