いっぱい寝た。
でも、まだ疲れてる。(年ですな~)
寝室にスマホをもっていかないと、
とても充実して夜を過ごせる気がする。
寝る前に、うとうとと考えていた。
(ADHD気質なのか、こどもの頃に「親の機嫌をうかがって過ごしていた」名残なのか、常に思考が流れて、いろいろ考える)
レゴブロックがぐちゃぐちゃに入っていて、欲しい色と形を探すために色々なレゴを触って探す感覚に近い。

このときに「もうこのままの人生でいいんじゃないかな」って思った。
現状維持のまま寿命を迎えればいいんじゃないかなって。
非ダイヤのまま寿命を迎えればいいんじゃないかって。
だって、特に大きな問題はないし、こどもたちとも楽しく過ごしているし、
貯金は無いけど働いているから、毎日の平凡な生活だけなら大丈夫だし、
たまに職場の人や友達と飲みに行くことも増えたし、
このままあと10年たてば、息子たちも大きくなって自由な時間が増えて、
趣味だって出来るし、今以上に仕事も出来るし。
それに「現状維持」だって、結構、努力はいる。
今以上の生活を望まないこと、
限られた体力を、育児、仕事、家事に優先順位をつけて割り振り、最適なバランスをとること、
常に一定の余裕を自分のなかに確保すること。
現状維持でも楽しいもんだ。
とりあえず、明日も今日と同じでいいじゃないか。
そこまで考えて、気づいた。
考えていることが、
私の親と同じだって。
ナリ心理学において、母親=私ってそういうことね、と。
私の親も、現状(毎日誰かの愚痴を言って、自分を被害者にして、無自覚ながら私の自尊心を削りとり。挑戦や成長を捨て、世間体の良さを正解とする生き方)に満足しそれを維持するのに精一杯だったんだな。
目の前に大きな問題が出てこないから。
人生を本気で考え、行動を変える努力をすれば、
現実が変わるってことを知らないから。
もし知ったとしても、変化することへの反射反応的な恐怖を乗り越える余裕は彼らにはないから。
「このままでいいや」と思って、私を18年間育てたんだろう。
私も、親の前で楽しそうに過ごすことを心掛けていたし。
そんな私をみて「ゴリラも笑ってるから、今の生活でOK」と思うことはたやすい。
実際は、私が毎秒「家族が壊れるかもしれない」恐怖と闘いながら、
「家族が壊れないように振舞う」我慢をし続けていただけなのだけれど。
しかし、18年間ってえぐいなw
18年間のうち、なんか出来ることがあっただろw
といいたいところだがしかし。
今ほど心に関する情報も無い時代、ネットもないし、
田舎の漁師町でコミュニティも狭いし、
挑戦して失敗したら笑われてバカにされて仲間外れになるかもだし。
心の問題を母親と結びつけるのは無理ゲーすぎるわ。
私だったら無理だな。
ていうか、人間の標準装備として「現状維持を好む」っていう性質があるんだから、自尊心があっても、成長と挑戦を必ず選ぶかといえば、そうじゃないんだよな。
だから、現状維持を選んだのは、100%親の自由意志ではないってことだ。
現状維持しか選べない環境だった。
そこから抜け出す方法を親は知らなかった。
私のせいでもないけど。
100%親の努力不足とも言えない。
だって、努力の土台がそもそも無いんだから。
長くなったので、いったん切ります。