コインに表と裏があるように、いつも表と裏は離れられないです。

 

この二元性の世界の中にはそのように二つがセットになっています。

 

ある意味今日のようなテーマもそうです。カルマがあるから浄化があるとも言えるのです。

 

そして浄化があるから進化があったりします。

 

ですから、カルマというものは忌み嫌われそうですが、実は魂の発展のための嫌われる役者なのかもしれません。

 

 

やはり裏があるから表が浮き立つ足り、表の反対に裏があるから、表と認識できるわけです。

 

ku自身もよく、夏の日になると日陰で太陽を眺めていたことがあります。

 

日陰のほうが涼しいのもありますが、木陰のような場所から光をが当たっている地面を眺めるのが好きだったのです。

 

 

太陽の中の太陽という光だらけよりも、少し暗い木陰のような場所から光をながめるような雰囲気が好きだったようです。

 

コントラストというものがありますが、この地球の面白いのは、このコントラストがしっかり効いているような場所なのです。

 

ですからコントラストをしっかり嫌がらないで、調整してみるような事が、正しさというものの正体かもしれません。

 

 

その人なりの正しさは、美という観点から図られるものなのかもしれません。

 

カルマのようなものは例えて言えば、子供が泥んこ遊びをしているようなものです。

 

今のお子さんはしないかもしれませんが、昭和の時代では子供はよく泥んこであそんでました。

 

服を汚さないように遊ぶわけですが、気が付けば、泥だらけになっていたりします。

 

 

しかし、本人は興奮してはしゃいでいるので最後はまったく気にしないで泥だらけになつていたりします。笑

 

あれはあれで面白いですよね。笑

 

でも最後は、お風呂だの洗濯だの、身体も服も現れて、キレイにさせられちゃいます。

 

逆に大人というのは、汚れる事を嫌がります。汚れる事は悪い事だと思っているからです。

 

 

子供は逆で楽しければ、面白ければ、関係なく自分を突進させていったりします。

 

汚れるのをわかっていてもやめられません。

 

ワクワクの方がかかってしまうからでしよう。

 

そういう意味では、この子供たちを象徴するように、大人たちは大人たちで眼に見える泥や汚れはきらいますが、仕事や生活やいろいろな事に熱中しています。

 

 

そして、傷ついたり、怒ったり、嘆いたり、落ち込んだり、いろいろな体験をして目には見えないカルマという汚れを作って行きます。

 

流れのままにいけばあまりカルマも作らないのに、エゴのおもちゃをどうしても離せなくて、エゴのおもちゃを握りしめたまま、転生輪廻をしていったりしてたのです。

 

しかし、転生輪廻の途中で、宗教的なものやスピリチュアルに少しづつ目覚め始めて、自分の外側、社会ばかり見ていた視点が、自分の意識の方に向き始めます。

 

 

それをチャンスとばかりに本人のハイヤーセルフも、本人に自分自身に意識を向けさせるように、瞑想だの 浄化だの 意識を高めて掃除をさせていきます。

 

やはり汚れてみて初めて、苦しさとか、いやな感じがわかつてくるのです。

 

だからこそ、啓発されて、意識転換が起きて来るともいえるのです。

 

すべてはストーリーですから、両方体験できるよなセットといえば、セットです。

 

 

いままでの人類は、子供の泥汚れはみんな洗ってましたが、自分の魂の汚れはあらわないで一生過ごして行くような過ごし方でした。

 

とくに戦後の日本は唯物的でしたからそうでした。

 

しかし、いよいよ洗濯機の自動洗いのように、時代そのものが浄化させられる時代となってきています。

 

本当の意味で霊的に目覚めて来る時代。

 

 

それにカルマという忌み嫌うものがあるからこそ、その痛みがあるからこそ目ざめのきっかけとなっているのかもしれませんね。笑

 

今年も浄化していきましょう。笑

 

 

 

 

 

 

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