最近また少し本を読み返してます。笑 

 

外側から知識吸収というより、文面の奥にある共感・・・かもしれません。

ラマナ マハルシや、OSHOなどです。。懐かしいです。笑

 

彼らは、世の中の常識とか、正しさとかなどを一回ひっくり返して発信していたりします。

 

OSHOが言うように、「 理性 」は、「 なぜ? どうして? 」の世界。エゴから尋ねる事です。

 

しかし、かれらの書籍は理性には答えようとしません。 

 

その質問の答えは、エゴがエゴに納得させるだけのものであり、シフトとは関係ないからです。誤解される事を承知で、発信しているような文面です。笑

 

さて、記事です。笑

 

 

やはり、今日のタイトル通り、古い自由と新しい自由と なります。

 

アセンションの時代をどんどん進むにつれて、自由の方向性が変っていく・・・ という意味です。

 

結局どういう事かといいますと、いままでの人類の流れは、このアセンションの時代に入るまでは、個人なら個人が社会に向かって、自由を求めて行っていた時代なわけです。

 

それは、自分自身の自由、家族の自由、自分の国家のための自由、会社のための自由など、いろいろです。

 

この自由という言葉は幸福という言葉でも置き換えられても構いません。

 

 

例えば、お金を追求する個人、企業、グループにしても、彼らは、さらに自由に大きくなりたくて、お金の稼いでいるわけです。

 

この社会という幻想の中で、どれだけ活動して自由を表現できるようになれるのか・・・・その自由になるために必要だと思い込んでの資金の欲求だったりしたのです。

 

自由というのは、自分が社会の中で自由になっていく・・・・という自分が世界の中で広がっていく、活躍していく という事だったわけです。

 

アメリカという国なんかは、自由というものを侵害されると、戦争まで起こしていきます。

 

実際、歴史の中での戦争もお互いの国の自由と自由がぶつかり合って起きます。

 

 

すべて今までの世界は、自分、自分達の自由を獲得するために社会で活動してきた格好となっているのです。

 

しかし、振り返ってみると、今まで、それを完全に獲得できた 人もグルーブも国もありませんでした。

 

これだけ外側に向けて頑張って来たのに、だれも社会の中で完全な自由は獲得できなかったのです。 

 

たとえば、世界でトップの人でも、宇宙ではまだトップではありませんよね。笑

 

しかし、まだ獲得しようと頑張っている人達も沢山います。 あきらめられないのです。

 

 

どうしても、外側に追い求める事でしか、納得しないのです。 

 

つまり、「 自由は獲得すること…努力しないと獲得できない・・・ 」 と信じて生きてきた

のが今までの社会だったからです。

 

そのように、永遠に手に入りきらないような、自由という事をテーマに外側に外側に、自由を獲得するゲームをしてきたのです。 

 

これが古い自由です。 「 エゴの自由獲得のために・・・」です。

 

だから、トラブルが終わらないのです。エゴは 分離です。

 

 

分離したものと分離したものが、競い合ったり、足を引っ張りあったり、相手を責めたり、引き抜いたりしないと外側にある自由は手に入らないと、エゴは思っているからです。

 

つまり、古い自由は、分離した錯覚の自由の獲得だったのです。だから、いつまでたっても、誰一人も満足いく結果がでなかったのです。

 

それでは、新しい自由の意味は・・・と言いますと、その逆なんです。

 

自分の内側に自由が広がっていく・・・という自由の始まりなんです。

 

本来の自分に帰っていく、統合されていく自由なのです。 それは汚れてしまっていたダイヤモンドが磨かれていくのと似ています。

 

 

 

ダイヤはダイヤなので、一ミリともダイヤでなかったことはありません。表面が汚れていただけなので、ダイヤだとわからなかっただけなのです。

 

磨けば、磨くほど、ダイヤの輝きは戻ってきます。 汚れが落ちただけなのです。

 

磨いただけ・・・つまり浄化でしょうか・・・? ? 

 

解放されれば、解放されるほど、アナタというダイヤモンドは輝きを戻していくだけなのです。

 

そして、磨かれて出てきた、ダイヤの輝きが自由なのです。

 

話は少し外れますが、さきほどのOSHOの本の中に、成長に3段階ある と書かれてます。

 

 

第一段階は・・・環境が主人で、自分は環境の奴隷になってしまっている状態 つまり環境こそすべてで、幸も不幸も環境次第。 ( 不自由の中で自由を求めている )

 

第二段階は・・・・当ブログの言葉でいえば、自分軸がしっかりしてきて環境に振られにくくなってくる状態  つまり環境にあまりゆれなくなってきている といった心境です。

 

第三段階は・・・・ 自分自身が環境に影響を与えるようになれる状態。ここまでだと、自動的に周囲に影響を与える。 そして周囲の状況も変わる。べつに本人がそうなりたいと思っていないが、本人自身が強力 であるから。 ( 自由そのもの )

 

 

第一段階は 無力だと信じている段階 つまりエゴに翻弄されっぱなしです。 第二段階はシフトしてきてる段階です。 そして第三段階は覚醒している段階です。

 

この第三段階の話は、よくkuもセッションで言います。 

 

「 どうしたら、どのようにしたら? 」 という欠乏から発信する段階は、古い自由の時代のなごりのようなものです。外側に自由を求めての発想です。

 

しかし、シフトしつづけて、第二段階、となってくると、「 自分は自由であった 」 と徐々に

 

エゴで求めなくても、ハイヤーの流れに乗って、シフトし、解放続けていくと、知らぬ間にダイヤは磨かれていた・・・ となります。

 

 

そして・・・・ 自分の環境への引き寄せが変ってきます。 「自分は自由だった」 と思っている人の引き寄せはどんな引き寄せになるでしょうか? ・・・・ 笑

 

実は、自由は求めるものではなく、究極的には、存在そのものが自由となっている、自由そののものだった・・・ということです。

 

究極は、仏陀みたいに、仏陀がいるだけで、時代にエネルギー放射して、周囲を照らしてしまう段階が第三段階の究極の姿なのかもしれません。

 

かといって、自分はまだまだダメなんだなんて思わないでください。ゆっくり進まれればいいのだと思います。 それこそ欠乏感がない自分です。 

 

 

この今日のタイトルの 古い自由と 新しい自由の 違いは何か・・・・ をまとめます。

 

結局、第一段階のように、エゴを自分だと思って幻想にどっぷり浸かっていると、環境に流されるのです。 アセンションが始まる前の時代はこれでした。

 

それは自分は弱いから環境にあわせないと大変なことになると、恐怖で動けない事を意味します。

 

そうなると、目の前の世界の中でいつまでも自由を獲得しようとしてしまいます。 

 

しかし、これからの新しい自由は・・外側の目の前の世界や社会情勢は関係ありません。 

 

 

ダイヤが磨かれてきたとき、「 自分は強いんだ ということに気が付き始めていくのです。 

 

その強さは神としての余裕の強さの発見です 」 

 

少しづつでも、恐怖がなくなってくるだけで、つまりダイヤが磨かれてきただけで、「 神である自分に気づいていく段階 」なのです。 

 

これが新しいアセンションの時代の自由です。

 

「これでいいんだな。 少しは昔よりは、ちょっと自分を愛せるようになったな 」と思えることが、自分を強いということを感じはじめているのです。

 

 

新しい自由とは、今の自分の環境から自由になることではなく・・・・

 

自分の心を縛っていたものから自由になって、神になっていく・・・ という自由です。

 

 

 

 

 

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