2019年後半を過ぎていき、みんなさんの自分軸はさらに深まって行きそうですねー。笑
今日の記事は、熱心な方へのメッセージになるかもしれません。
ここに来られる方は、探求心があり、とても勤勉な方が多いので、昔であったら、その姿勢に関しては、拍手がなりやまないような生き方の人が多いです。
探求が悪いわけではないのですが、もうお分かりのように、今までの社会では良しとされて来たものの考え方や、志向性などが、今は逆になってしまっていくような時代に入って来ています。
それでも探求心の在る方は、それに合わせるように、今度は反対側にむかって探求しようとしていくのです。笑
ある意味、とても真面目で、とても誠実さを感じるので、それはそれでとても素敵だと思います。
それをkuは悪くとも思いませんし、とても笑って見れるのですが、当の本人は真剣に取り組みすぎてしまうわけです。
今からの時代は、まさに、力をどう抜くか・・・・ という試しの時代なのです。
どう頑張るかはみなさんは得意なんですが、どう力を抜くかは 学校でも、親からでも教えてくれなかったので、困りますよねー。 笑
しかし、これがディセンションからアセンションへの意識チェンジなので、どうしようもありません。
つまり、何かをしなければならない~何もしないでいられるか・・・・という意識チェンジの時代になるのです。
この世の中は、いままで、人、金、物、情報 という要素のように、これらを動かしてなりたってきました。 つまり、これらが動くことが社会だったのです。
どうやって動かすのでしょうか? それは、「 やらなきゃならない事をつくって生活している 」 ということです。 この動きは物理的な動きですが、ソースがあります。
その元になるものは、みなさんひとりひとりの思考です。 多くの人々の思考は「 やるべきこと・・・・」 によって動いて行っているのです。
このような当たり前の行動、思考を 何年も何十年も癖にしてしまっているので、どうしても「 何もしないと不安になるのです。」 それが罪悪感を生みます。
この罪悪感は幻想なのに、洗脳されているので物凄く、強烈に、刺激してきます。
何かしていない事への罪悪感です。 よーく考えてみれば、変な話なんです。
何もしないことで、なんで罪悪感を持たなければならないのでしょうか?
「 怠け者 ? 」 「 不良? 」 「 怠惰な生活? 」 と、このようなワードをよく観察してみると、何か基準があって、その基準に満たないと このような罪悪感を持つようになってます。
その基準は、父親のような勤勉さかもしれません。 母親のような24時間、365日体制で、家の中で世話する人の姿かもしれません。
そしてその父親、母親もまた、その父、母をみてそういう風に、行動しているわけです。 つまり、家系、伝統、習慣という基準において、良い、悪いを判断している事になります。
その他、人というのはそれだけでは満足できず、もっと自分を縛る、宗教とか、ルールとか格式とか、マナーとか、いろんなエゴのプライドを高める道具を揃えてきます。笑
そこには、いつもいつも先ほどの、「 やらなきゃならない事を作って生活している 」という常に目先の行動に追いかけられて生きなきゃならない動機があったのです。
逆に肩の力をなるべく抜いて生きる・・・ということは、安心感からきてます。
安心感でいっぱいの時、人は受け身になります。そして無防備になれます。
これからのアセンションの時代は、もう上級な生き方の勧めなんです。つまり、安心感の場所から生きられる、無防備であっても生きられる・・・ ということです。
もし、わざわざ危機を持たなければ生きられないのなら、危機が外にあるのてはないくて、解放しきれていない危機の恐怖が、自分の中に有るだけのことです。
何かと、だれかと比べるから、低いとか、高いという基準が出てくるのです。 ハイヤーセルフに繋がって生きるということは、ある意味、比べない生き方ともいえます。
だれとも比べないから、傲慢もいらないし、自己卑下もしないわけです。
つまり、比較ではない世界にいる・・・・ということです、 それは 「 絶対性の世界 」にいるということです。
でから、やらなきゃならないような固執した、固い世界のように、お互い津付き合う世界ではなく、安心した、安堵感から来るやわらかい世界なのです。
この柔かい世界こそ、本当は物凄く、強いのです。
パワフルなのです。
「 柔よく剛を制す・・・ 」という言葉がありますが、しなやかなもの、やわらかいものは一見力弱くみえますが、実はあの竹のようにしなやかなのに、丈夫なのです。強いのです。
地震がきたら竹藪に向かいなさい という言葉がありますが、竹藪の中なら地震でも安全なのです。
竹はしなります。 しかし、固いと言われている木は、ポキポキ折れてしまう事があっても、竹はしなって、やわらかいのに、とても強いです。 それです。
このような三次元のものでも、実はヒントをくれている場合があるのです。 固いから強い、やわらかいから弱い という単純さはエゴの見方であり、逆こそが、真だったりするわけです。
つまり、受け身になることの強さということです。一見、積極的に攻めていく事が強さと勝手な観方をしていたりするわけです。
なにかを探して行くような、積極性のエネルギーではないのです。なんで探すのかというと、自分の中の欠乏感を満たしたいが故に探そうとするのです。
発見出来たら大喜びで、発見できなかったら探し続けるというようなエネルギーとは違う時代なんです。
逆に受け身でいるということは、充分と感じていたり、充実感があったりとか、満足感があったりとか、とても満たされているような場所にいるわけです。
そしてこのアセンションの時代の凄いのは、個人セッションやっていても、このどうやるかではなく、どう在るか・・がわかってきているひとがとても多くなってきています。
エゴは無くならない事をわかっていて、エゴと共に生きる そして、いつも気づいている・・・・
という、「 シフトのために、何もしない・・・・・」という上級的テクニックが気が付いている人がおおいのです。 あえて、上級といいましたが、比喩です。 上も下もありまません。
なにもしないということは、受け身でいつづけている自分という意味です。 ただ、この自分が違うのです。 エゴの自分ではなく、受け身の自分とは、真我の自分なんです。
「 空 」 である自分、気づきの意識である自分なのです。 この自分こそが、受け身なのです。なにかを探しているのはエゴなのです。
その違いをはっきり体感として解ってきてしまうような時代に入ったようです。
この記事でも、どう考えるか・・・ではないのです。理解することに意味はないのです。
理解することに意味はない というとパニックを起こすのがエゴなのです。
なぜパニックになるのかといいますと、探そうとしている、探求しようとしている気持ちをストップさせられた・・・からです。
そのくらい探求が普通、欠乏感から捜すことが普通になってしまっていることに気が付かなくてはならないのです。
そのくらいキメの細かい自分軸をしっかり見ることなのです。
なぜ細かく見れるのでしょうか? 神経細かくチェックしているのとは違います。それはエゴの探求です。
そうではなく、いつも受け身で、自分に意識を向けているから、一瞬の自分の思考の動きに敏感になれるのです。
在るということは、完成されているということなんです。
完成されている場所にいると、受け身にならざるを得ないのです。
そして、その受け身の中で、解放させてしまうのです。
カルマを溶かしてしまう場所だからです。
溶かしたらどうなるのでしょうか?
そうです。アナタの意識はどんどん大きくなっていきます。つまり、シフトするのです。
すると、自分の周囲は穏かで、引き寄せられるものもまったくかわってきます。
なぜなら、あなた全体がどんどん綺麗になって行ったら周囲もかわりますよね。笑
その時、あなたは気づきます。何かしたわけではないのに変っている自分を。
そんな簡単で、とても、とてもシンプルな幸福な時代がきつつあるようです。
すばらしいですね。笑
宇宙船からコンニチワwww ↓
Siriusの昇龍よ ↓ 笑
夏のすっきり頭の中。 笑 瞑想ですー。 ↓
あっけらかーんkuです。 すずけん放送局 ↓
8月20日以降に再販再開します。
販売停止しているのに、お申込みいただく方もいて、みなさんの情熱は感謝致します。
ただ、もう少しお待ちください。 休憩して良いセッションに備えます。
kuの個人セッション、kuスペシャルは、販売開始しても、
すでに11月20日まで満員御礼です。
設定はそれ以降になりますが、それでも、決意と、変革を固められた方((←固い固すぎる。。笑))は、しっかりやらせてもらいます。












