現在なるべく同じ位置で
撮ってみようと つまらん事を考え付いてやってみた。
今も 実家に帰るときに 時々通る道

幼稚園の頃 通った道・・・・・

AとBの電柱は まだ位置が同じまま残っているんだな

歩くよ・・・・ 自転車も乗れないし 車も運転できないからね。
昭和40年かな。

これは お母さんと 多分お正月 親戚の家に出かける時

住宅地の 遥か彼方に見えるのは 多分「八王子」の方向じゃないかな
今撮影するとーーーーーー。

こんな 感じ・・・・
この辺りで お父さんと凧揚げをした事があった。
あーーーー 夕日が落ちる。
ここからの 夕日は綺麗だな、いつも。

今日は って もう12時過ぎてるから 昨日か・・・・・
施設に行って 母と会って来た。
「お母さん、 ハウスメイドしてたんでしょ?、進駐軍のカマボコハウスで」
「・・・・・・・・・」
「どこの キャンプで働いてたの???」
「・・・・・・・・・・」
「忘れ ちゃっった???? もうじき終戦記念日なんだよ、話聞こうと思って」
「・・・・・・・・」
「その前は 神奈川大学の食堂で働いてたんでしょ????」
「・・・・・・・・」
「覚えてないの????」
ここら辺で やっとうなずく。
「よしこさんと一緒に 進駐軍で働いたの 覚えてないの????
写真が 残ってるよ キャンプのパティーの時か何かのーーーー
よし子さんの事 覚えてる??」
「・・・・・・・・・」
(駄目だな、 こりゃ。)
「戦争の事は 覚えてる?」
ここはうなずいた。
「お父さん って 子供の頃の話 しないよねえ・・・聞いたことある??」
ここは 「いいえ」と首を横に振った。
「父親が はじめは 小机の駐在所のお巡りさんだたんだって。知ってる?」
知らないようだった。
「なんで 宮城に終戦後いちゃったんだろうねえ・・・あんな 田舎でお百姓だよ、
逃げたのかな・・・・ 特高警察だったんだよ、戦争中。
なんか 話聞いてない???」
「・・・・・・・・・・」
「何にも 話聞いた事無いの???」
「・・・・・・・・・」
それは 凄い田舎でした・・・・
お風呂には 庭の池の水を汲んいれて 沸かすーーーーーー。
子供の頃 母と一緒に入ったんだけど メダカの死骸が浮いていたのを覚えてる。
昭和40年のはじめか 少なくても3歳・・・昭和39年 頃の話。
結局 いつも 会話は成り立たないから、
歌を 3,4曲 歌ってあげる
。
歌を聞いた時が 一番反応が良い。(時々 一緒に 歌いだすし)
この場所は大好きなんだけど、なのに 私は 帰らないんだな・・・・
もう 日が 落ちるよ

もう お母さんも この場所から 夕日を見ることは
無いのだ。
日が落ちる 日がおちる・・・・・・。
突き当りを 右に降りたら 新横浜の風景が開ける階段続きのところになる・・・

そうしたら 家族の暮らした家が現れる

こんな 時間も もう帰ってこないし
記憶にもないんだろうなぁ

大好きなのに なぜ かえって来られないんだろうね、
記憶も
人も・・・・・
私も帰らないし・・・・・・。
何回か この車は 切り返しをしていた。

一度じゃ 曲がれないみたい。
みちが 狭くて。

行って しまったーーーーー。
もう 「バック」じゃあ 無きゃ 戻れない。

このあたりじゃ
「前」に行くことしか 出来ない。
私も 前にどんどん 歩いたよ。
これからも きっとそうなる。
でも
別に 歩きたいわけじゃ無いんだよね。
昔の方が 穏やかで素敵さ、 今より全然・・・・・
バックでも 戻れないから ただ歩いているだけ。
だけど 写真がいっぱいあるから 幸せだなぁ。
ありがとう お父さん。
