久しぶりに 好きな場所に行ってみた。
ここに来る時は いつも何か「母の余命」の事を考えながら来るような気がする。

この日は 肺炎で入院していたのが治って 施設に戻し退院が終わった日の帰り道。
バスにのって帰ればいいのだけど
懐かしい 付近なので ボーっと歩いたりするのは 「霊的」に落ち着くもの。
この日も 2時間くらい フラフラ寄り道しながら歩いた。
3年ほど前 初めてこの場所を見つけた時は 驚いたね、
↓↓ 2011年2月4日のブログの画像。

施設に見舞いに行くのを なーんか ためらいながら
やはり バスに乗らずに
のらくらと ほっつき歩いて寄り道した時に見つけた、祠。

そこに 約3年ぶりに またフラフラ来てみたーーーー。
以下 写真の垂れ流しです。

2つ並ぶ鉄塔に 哀愁の優さをどうしようもなく感じて見入ってしまうのは
どうしてなのかな。

夕暮れがくる時間だった

さんざん時間をかけて あれこれ撮影していて

私は気が付いた・・・鉄塔の中に 小さな「あかり」がともったのを。

物悲しいけど

やわらかで あたたかいものだった。

今 思いついたことなんだけど
この2つの鉄塔は 私の心の中の お父さんとお母さんの反映なのかもしれない。
もう 一緒に暮らすことのできない 父と母。
そんな父の中に 決して消えることなく 母がきちんと灯っている。

父は 家庭的な事は一切しない。
「オイ」とか 「お母さん」などと 母をよんで 何か頼んだり指示をすることもなかった。
いつも 自分で何か 探して見つけた事をしていた。
(草取りとか ストーブの手入れとか・・・・)
または 静かに居間でテレビを 見ている・・・・ そんな
母にとってはつまらない男だった。
会社と家を往復して お給料を全部母に 手渡す
自分の為に (こずかい)いくらもらったか 知らないけど
30年以上一度だって お金のことで要求や諍いもせず
ひっそりと会社員を勤めあげた。
これは 表現が下手な 父の 最高の母への愛のしるし なんだと思う。
好きだ 好きだと 絶えず口にしたって・・・・
家族サービスを 上手に企画して 家族を喜ばせる 「良きパパ」男だって・・・
伴侶からちょっとでも 浮ついた心をもって夢見たりするのは
尊敬できる 「ひと」の部類じゃあないね。
それは 「動物」の部類だ・・・。 動物は元来「浮気」をして
遺伝子を広く撒くのが本能だからねーーーーーー。
「尊敬できる」というのは 知性と理性と倫理観を備えたそういう人でなければ
ついてゆけない。

好きな人が 「間違った事」をしない限り
自分の思うように動かないからと言って 腹を立てたり ぶつぶつ言うのは
「器の小さい男」なのだ。
いつも 静かにじーっと見てありのままを受け止めていられる
それが「愛」だとおもう。
母の家事は 何一つ「完璧」じゃなかった。
でも 汚れていれば 父は 黙って片づけていた・・・そんな男で
これは 最高の愛のあかしだと 今なら気が付く。
母が食事の支度もせずに 出かけても
文句も言わす 一人でいられる・・・・・。
静かで 深い愛情があってこのことだろう。

周囲を見渡して 写真を撮ったら
私の好きな ドラセナの影が気に入った。

闇に2本 綺麗なシルエットだなと見とれるね

家族でバーベキューやら パーティーをしたり
花を買ってきて 女房の機嫌をとったり
そんな事は 一切出来ない 男だったけど
最高の父親だと思う。そして最高の「夫」だ。
実直な 静かな愛情・・・・
歳をとらないと わからないね。
継続する力が無いと 「愛」は 証明できない。
今も びっこで杖をつきながら 面会にいく。
なんにも話さず しばらく母の横に座っていて 気が済んだら一人帰ってゆく。
気晴らしに 飲み屋に入ったり・・・・及びもつかない
( そういう旦那方を 普通に見かけるーーー。 よく飲んでる気分になるよなぁ)

というわけで お正月だから
家族そろって 初詣・・・・という事も一切なかった。
父が 「神に願い事」をしているのを一度も見た事はない。
考えてみれば
「神に願い事をする男」なんて 魅力的じゃないな・・・
52歳アタシ 今 気が付いた。 (笑)
私の地元 好きな場所
んで6-9ってのが ミソでしょ・・・てへっ。

