先日、報道ステーションで、沖縄の基地問題のニュースの中で、古舘キャスターが言っていたとことがずっと引っかかっていた。普天間の海兵隊はもともと岐阜と山梨にいたという話だった。調べてみようと思いつつ、師走のバタバタにまぎれて忘れかけていたのだが、あらためて調べてみてびっくりした。全然知らなかったのだが、アメリカ海兵隊第3師団は1956年まで岐阜・各務原と山梨・北富士に駐留していたのだ。



 この事実を知ったとき、私は冷や水を浴びせられたような気持ちになった。沖縄の基地問題は日本人全員で考えていかなければならないことだと思っていたつもりだったのだが、今でも各務原に海兵隊が駐留していたらどうなっていただろうということをリアルに想像したとき、実は沖縄の基地問題を自分たちのことだなどと、まったく考えていなかったということに気付かされたのである。



 米軍基地の是非を論ぜられるほど勉強していない私だが、少なくとも沖縄の現状を想像することは不可能ではない。普天間基地と現在の航空自衛隊岐阜基地はどちらも2,700メートルの滑走路一本で同じような規模だが、沖縄にはさらに、普天間のすぐ近くに普天間基地以上に広大は空軍の嘉手納基地もある。


岐阜に当てはめてみると、各務原の岐阜基地が米海兵隊の基地で、さらに岐阜市内にもっと規模の大きい空軍の基地があるという状況なのであ

る。しかもまだそれ以外の米軍施設が県内にたくさんあるという訳だ。



 岐阜にあった海兵隊は、市民のはげしい反対運動で普天間に移動した。終戦からまださほどたっていない時代のことだ、おそらく今の普天間以上に犯罪などが多発する迷惑施設だったのではなかろうか。移転の

際の詳しい経緯はまだよく調べていないのだが、とにかく58年前、岐阜の人々が米軍基地の県外移設を実現したことは確かだ。


県外移設の先駆者なのだ、岐阜人は。普天間問題に無関心でいて良い訳がないのだ。



 それにしても岐阜に住んでいながら、そんなことを全く知らなかったというのはうかつであった。各務原飛行場は戦前からの飛行場なので、終戦後しばらくは米軍が進駐していたのだろうくらいは漠然と思っていたが、まさか普天間の海兵隊がいたとは想像だにしていなかった。だってだれも教えてくれなかったもの、学校で教えてくれなくちゃ、こんな大事なことは。まったく古舘伊知郎に感謝しなくちゃいかんな。