御無沙汰しています。

元気ですと言いたいところですが、さすがにお盆過ぎた辺りから、体の動きが、よりスローになってきています。

さすが!6〇才、介護保険を払う年齢だけのことはありますね。

 

今年は、初盆の親戚が多く、迎えてくださる方も、くたびれたお顔で、

「本当にお疲れ様!」という声をかけたくなりそうです。

もう、お盆だから、お参りに行かないといけない…と言う風習自体もどんなものなんでしょうか。

生きているだけで、精一杯の気温。

 

暑い!と言うと、体が動かなくなるので、あまりこのワードは使わないようにしています。

確か日本は温帯であったはずですが、いつから亜熱帯になったのでしょうか?

しかも、冬は雪が降るというオマケつき!雪

ゴーヤの苦みで、生き返る日々。もう苦みとも慣れてしまいました。

 

今年は、久々に、中学の同窓会の案内がありました。

20才代の後半を最後に、開かれなかった同窓会でしたが、

お盆の帰省辺りをねらって、開催が計画されたようでした。

 

昨今の個人情報保護のこともあり、固定電話、ハガキを使い、

幹事さんは、涙ぐましい努力をされたようです。

(あとで、この過程のことを知り、少しでも協力出来たらよかった・・・と反省した次第)

人が持っている情報を頼りに、枝葉に分かれた情報をかき集め・・・大変な時代になったのを実感。

 

私はクラスのみの会かと思い込んでいましたが、学年で開催されたそうで、

本当に幹事さん、大変だったことと思います。

 

こんな同窓会を開くきっかけになったのは、

学年でも、死亡する人が、増えてきているということのようでした。

 

まだ60才代だけど、親世代の60才代より、体の内部は相当に弱くなってきている・・・というのを

私も強く感じています。

下手すれば、親より先に遠くにいってしまいそうなくらい、どこか体の脆さを

誰もが危惧しているのかもしれません。

 

同い年の人が亡くなるさみしさ~というのが、前にはピンとこなかったのですが、

すごくズシンとした重みと、心に穴があいたような虚しさがあります。

 

そして、同窓会から数日後、友人からのラインで

当日倒れた人もいたそうで、そのことも含めて

自分たちもいつ’死’がくるかわからない、そんな弱くて脆いからだと付き合いながら

生きている世代なんだと思い知らされています。

かなりの人数、集まったそうでした。

 

話をするときは、ニックネーム、あだ名で呼び合う、家族とは違う集団も

時がたつと、懐かしく思えるそういう年齢になりました。

 

外側からは幸せそうにみえるひとも、そうであるとは限らないのでないか、と思うわけです。

時代は変わった。

子育ても昔とは違う難しさを抱えている。

お金があっても、埋められないさみしさを抱えている場合もある。

 

人からどう思われるかを常に意識ばかりして生きている、昭和の感覚をすてないと

あっという間にあの世にいって、それから後悔三昧の日々になるのは、残念!

 

 

やっと、育児から解放されつつあるので、(まだ、爪切りに通う日々は続いていますけど)

おばあちゃんになった友人たちとも、ゆっくり話すことも自分が生きている証なのかなぁ。

そんな酷暑の夏の日々を、今年は特別な年に感じています。

 

不思議な夏です。

(この家は、やっぱり、不思議な家。。)