実家に帰って思ったこと | むちゃごるぅ帝国~自閉症を添えて~

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30と25の大人の自閉症の息子を育てているごるごさん。
そろそろ自閉症の人たちが、楽しく愉快に幸せに暮らしていける帝国をつくりたいなぁと壮大な夢を語ってみたりしています。



ここに書かれていることは、すべて真実です。

先週の金曜日
実家に帰りました。

父が緊急入院して4か月あまり。
病院から施設に移り
母から
「顔を覚えているうちに帰ってこい」と厳命を受け

しかし
私はすでに3回は御見舞にいっているらしい。
父親の話では。

「昨日ごるごが来てたけど、今日はどうした?」

と聞かれるたびに母は
そうねーきたねーと答えていたと。

で、帰りましたよ。
娘の学校の用事もあったので
そのまま帰りましたよ。

空港でチケットの手配をしていたら
電光掲示板に
「○○行き、プロペラ機対応」

ちょっとまてー
プロペラ機だとー

はぁーー

と思いつつ
搭乗席に行くと

「○○行きの方は、飛行機までバスで行きます~」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

一番端から乗るのね。
遠いのね。
飛行機まで。

久しぶりに乗ったらこれなのね・・・


まぢ、プロペラ機怖かった。


さて。
父親は私の事を分かりませんでした。
そんな気はしていた。
何年もあってないし
最近では母の事も分からないこともあるらしいし。

でもまあ。
不思議と

お父さんがこんなになるなんて!

って気持ちはわかなかった。

冷静に見つめている自分がいたよ。


さてさて。
そんな中、つい先日父の姉が無くなり
その十日祭(うち神道系なので、初七日のようなもの)があると言うので
私も連れて行かれた。

と言うか、なぜか連れて来いと言われたと。
行きましたよ。
飛行機降りて実家に帰る前に。
ゴロゴロキャリーバック引きずって。

お参りして
席について
まあ食べな~とか言われて
食べましたよ。

田舎ってね
こんな時でも赤飯なの。
まぢ。

まあ食べましたよ。

すると父の妹が

「遠くに住んでると、何にもしてやれんけ辛いやろ」
と聞いてきた。


はぁと答えながら

いや・・それどころじゃないし

などと考える鬼畜な娘。

それに実家の町には弟もいるし。


喪主のいとこが

「いやーおまえ、大変な子ども育てて
すっげえ苦労しよるって聞いとったから
どれだけガリガリでやつれ取るかと思うたら
そうでもないのー」


あのさ。

どんな風評被害だよ。

すっげえ子って、あれか?
あの3人か?

そして悪かったな。
太ましくて!


と思いつつ
次の日バス停まで母と歩いていたら
親子連れを見かけた。

母が
「あの子も一人で買い物できんのよねー」と言った。

年は長男よりちょい上。

思わず口からでた。

「親が死んだらどうするんだろ」

母は
「兄弟が診らんかったら、施設か病院よね。
○○さんとこは、兄弟が診らんていうたから、特養の特別室にはいっとるよ」


そうだった。
ここには通園施設もない。
特別支援学級はあっても
それは本当に勉強ができない子が行ってた。
今は少しは変わったのだろうか。

同級生や後輩たちの子どもが
障害児だと
島から出ると聞いていた。

支援学校もない。
その前に児童相談所もなかった。
今はあるのかな。

高齢者の施設も足りない状態では
障害者の施設どころではないだろう。

親戚の口ぶりから見ても
障害児を育てている哀れな私を
見たかったのは容易に理解できた。

ここでの障害児の子育てはたぶん
それを想像できるものだと思う。

なんかねー
自分の実家だから特に思うんだけどねー

私には何の資格もないけどさ。
今まで療育ハンターとして培ってきた実績と人脈はある。

なんとかしたいと本当に思った。

7歳の別れって知ってる?
島には養護学校が無いから
息子の世代には
県に出て
寄宿舎に入れて
通わせるの。

小学校から。

だから、7歳の別れ。

今もそうなんだろうか?