今回は河内西国霊視巡りで近鉄大阪線の高安駅に照れ
高安駅から1キロ先の善光寺へ向かいますニヤリ

善光寺  [ぜんこうじ]

第33代推古天皇の御代に、信濃国の住人本田善光(信州善光寺開基)が都へ上がり、大和国豊浦の里、難波の堀江に於いて一光三尊の阿弥陀如来(善光寺如来)を感得しました。

之を背に負い信濃へ帰る途中、信貴山を超えて当地に立寄り逗留しました。

その際、近隣の人々が集まり来たって如来と共におこもりをしましたが、翌朝不思議なことに如来のお姿は2体にお分かれになっていました。
善光は当地にこの御分身如来を安置することにしました。これが当寺の濫觴です。

当地では俗称「元善光寺」といいます。



石碑にはえー
「 名木
   きごくの楠
   志なの柿
   ふだん梅
 不断山 善光寺  」とえー
三名木として、楠、不断梅・信濃(志なの)柿があったが、不断梅は枯れてしまったようなショボーン

この信濃柿とは市田柿のことかもしれないねキョロキョロ



手水舎
境内は木々が多くあります照れ


本堂

御本尊
一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)


日本に仏教が伝わってまもない頃(崇佛廃佛論争の最中)廃佛派により難波の堀江の池に沈められますガーン


その後縁あって本田善光と云う人に拾われ、善光の故郷信州へ帰る途中に泊った場所(垣内)で御本尊は二体に分身されたんだとかえー


その一体をお祀りしたのが当寺の御本尊プンプン

御本尊は秘仏ですが年二回の御開帳の際に参拝する事が出来るんやって爆笑


又本田善光が杖としていた木が育ち大木となった樹齢千年を超える天然記念物の楠も壮観ですニヤリ

善光寺のお通夜

毎年4月と9月の両月の16日の夕方から、善男善女群参し、蝋燭講の世話役は、長い柄の付いたかごを廻してお賽銭を集めて灯明をささげ、念仏講の人々は念仏踊りを奉納、深夜ともなると色々の芸が出て賑わい、お通夜が行われて、夜明けと共に読経の後、本尊御開帳が行われ、血脈が授けられて行事は終わる。古くは東高野街道筋を楽音寺あたりから参詣の人々の列がひまもきらず終夜続いたといわれてますえー



賓頭盧様
病気を治す力があるとされ、撫でるとその部位の病気が治るという信仰があり撫仏ともいわれていますニヤリ



本田善光
信濃国で貧しい暮らしをしていたが、600年に信濃国司の供として都(大和国)に上った際、難波の堀江でかつて物部守屋によって打ち捨てられた百済から渡来した阿弥陀如来像と出会うプンプン


肩におぶさって来た如来に喜び、善光は家に連れて帰って臼の上に祀ったところ、光ったことから坐光寺の由来となったとかびっくり
642年には如来のお告げにより、信濃国水内郡芋井の郷(現在の善光寺の所在地)に御堂を建てて如来を移動することとなったが、途中の諏訪郡で6年間安置されたえー


これが 善光寺 (諏訪市)の由来なんやってニヤリ

643年、亡くなった善光の子・善佐を如来が地獄に救いに行ったところ、なんと当時の皇極天皇に会ったとかニヤリ


善佐の願いから、如来は皇極天皇も生き返らせてあげたんやってびっくり


皇極天皇はこのことを感謝し、善佐と善光にそれぞれ信濃と甲斐を与えることにしたとかえー


そして皇極天皇は如来のために立派な御堂を建て、善光の名をとって善光寺と名付けられたんですニヤリ



萬霊供養塔
迷いの中に生まれるありとあらゆる精霊を合祀して供養をするために建てられた塔なんやってえー



地蔵尊
地蔵尊には、主に28種の功徳と7種の利益があるとされていますえー

地蔵尊のご利益は多岐にわたりますプンプン

28種の功徳
天龍護念(天龍が守ってくれる)
善果日増(善い結果が日ごとに増す)
衣食豊足(衣食に困らない)
疾疫不臨(病気にかからない)
離水火災(水難・火難に遭わない)
無盗賊厄(盗賊の被害に遭わない)
人見欽敬(人から敬われる)
神鬼助持(鬼神が助けとなる)
多生天上(何度も天界へ生まれ変わる)
畢竟成仏(最終的に仏となる)

7種の利益
速超聖地(速やかに優れた境地へ進める)
悪業消滅(悪いカルマが消滅する)
諸仏護臨(諸々の仏が護ってくれる)
菩提不退(悟りの境地から後退しない)
増長本力(本来持っていた能力が増幅される)
宿命皆通(過去世の全てに通ずる)
畢竟成仏(最終的に仏となる)


これらの功徳や利益は、『地蔵菩薩本願経』という経典に説かれていますえー


お地蔵様は、釈迦が入滅してから弥勒菩薩が成仏するまでの間、仏が不在となる現世で、六道を巡りながら衆生を救う存在とされていますえー

特に、子供の守り神としても広く信仰されています照れ



蔵キョロキョロ
中にはお宝がざっくざく爆笑


大楠
大樟樹で、幹まわり6.27m、樹高25mあり、樹齢はおよそ800年とかびっくり


昭和45年2月大阪府天然記念物に、昭和61年4月には八尾市保全樹木に指定されました照れ

この国に仏教が伝わってまもないころ…仏教派と反対派が相争うなか、大和橿原の向原寺で仏さまがお祀りされましたプンプン


その後まもなく国中で疫病がはやり、それ見たことかと在来の神さまをあがめる反対派が勢いづき、戦いがおこり、反対派が勝利えー

彼らはこの仏さまを放置すればまた誰かがどこかで祀るだろうと恐れましたガーン


そこで仏さまを七日七夜、鉄をも溶かすたたらにかけたのですが、閻浮檀金という金属で造られた仏さまは溶けませんキョロキョロ


それならとこんどは難波の堀江という池に沈めてしまいましたプンプン


のちにこの話を聞いた聖徳太子が、「もったいない、私がおすくいしよう」としたところ、「今あなたに拾われるより、のちにもっと因縁の深い人に拾われるから、このままに」という仏さまの声が聞こえましたびっくり

あるとき信州から主人の都仕えのお供で大和に来ていた本田善光という人がこの地をお参りにまわっていて、堀江の池の端を通ったとき、背中が急に重くなりましたガーン


あの仏さまが善光の背にうつられたのですえー

信心深い彼は仏さまを背負い信州へ帰ることにしましたプンプン

途中、信貴山の毘沙門天にお参りしたあと高野街道へ出るところで日が暮れ、一軒の農家に宿を借りましたえー


農家の人は仏さまを見て、ぜひここで祀らせてほしいとたのみますが、かなわず、近所の人も共に一晩拝みましたプンプン


すると翌朝なんと、仏さまが二体に分身されていたのですびっくり


こうして善光は信州へ帰り、この仏さまをお祀りして大きく育ったのが今の善光寺えー

ずっとのち、本田善光はお祀りされている仏さまの分身をお参りしたいと、再びこの地を訪れますえー


そのおり道々ついてきた生木の杖を、「本当に仏さまがここに心地よくおとどまりになるなら芽の出ますよう、そうでなければ、枯れますよう」と念じて地面に突きさしましたプンプン


するとそこから楠の芽が出て、今境内にある大木に育ったのです照れ



垣内地蔵尊
もとは村の東方、鳴川峠越え道の「出合」の岩壁に彫られた磨崖仏を、採石の際に切取り、現在の場所へ移して乾小路の守り地蔵として祀ったものとかキョロキョロ



河内西国は書き置きが多いですねキョロキョロ


切り絵御朱印もGET爆笑


河内西国第十三番霊場
大阪府八尾市垣内4ー41



高安駅から国道170号線へ向かうと道沿いにある喫茶あきないさんで朝食を
店内はカウンターや2人、4人テーブル
そして1用テーブルもあって地元民でごったがえしてましたびっくり



モーニングメニュー&ランチメニュー爆笑


日替わりサンド 600円
本日のサンドイッチは薄焼き卵&ハムキュウリサンドニヤリ
それと
ゆで玉子とオレンジが一欠けら爆笑

特別感はありませんが…

普通に美味しいモーニングですニヤリ

高安駅から597m
大阪府八尾市垣内1-173