赤穂旅最後は花岳寺爆笑

花岳寺  [かがくじ]

花岳寺は曹洞宗の寺で、台雲山を山号とする。新西国三十三所31番霊場である。


赤穂藩主浅野長直が秀岩竜田を開基に講じて建立した。


浅野家の菩提寺で、赤穂浪士ゆかりの寺である。当時は正福寺の名を称していたが1658(明暦4)年に華嶽寺と改めた。


義士宝物館があり、大石内蔵助良雄の書状をはじめとするゆかりの品々が多数展示されている。


また、浅野内匠頭(たくみのかみ)の切腹の日、四十七士討ち入りの日、及び切腹の日には追悼法要が行われ、多くの人々が供養に訪れ主君内匠頭と赤穂義士の霊を弔う。



山門 赤穂城の塩屋惣門
この山門はもと、備前(金比羅)街道の西町口に設けられた枡形付近の門で、いわゆる西惣門であったとかキョロキョロ

 

これを明治6年に花岳寺の二十一代仙珪和尚が購入移築したものなんやって照れ
 

移築した場所は、城主代々の菩提寺である花岳寺の南側正面であり、この門より南へ延びる町並は藩政期にあっては、城下有力町人や札座、町会所によって占められ、ここを墓参の大名行列が通るため御成道(おなりみち)とも称されたとかえー


現在も、加里屋本町としてその面影をとどめ、山門はその町並にふさわしく映えています照れ



手水舎
大きい鉢びっくり
水は何処から…キョロキョロ


水琴窟
「日本の音色
内蔵助も聴いた水琴窟」

こちらは水琴窟の作者のお言葉が掲げられていますびっくり


大石内蔵助による元禄十四年(1701)の赤穂城明渡しは、実に見事なものであったと云う。


歴史によれば、その六年前に備中松山城が
世継ぎ不在のため改易となり、明渡しの労をとったのが内蔵助であった。

備中高梁には、水琴窟を考案した小堀遠州が国奉行として慶長九年(1604)から滞在し、遠州の手による頼久寺庭園(国指定名勝)が今も残されているんです。

内蔵助も執務の傍ら水琴窟の妙なる音色に耳を傾け、疲れた心を癒していたのでは…。

日本三大上水道のまち、播州赤穂に育ったものとして、内蔵助も聞いたであろう水琴窟の音色を現代の人々に身近に聞いてもらうため、地上型水琴窟を誕生させました。

皆様も、内蔵助の像に一勺の水を注ぎ、
時代の流れに左右されない心癒される
水金の音色をお楽しみください。」


「地上型水琴窟製作者 雲火焼作家 長棟州彦」


確かに水琴窟は「地下に作るのが当たり前で、「地上型水琴窟」というのは初めてでしょうね爆笑



本堂
宝暦8年(1758年)再建プンプン
正保2年(1645)常陸国笠間より5.3万石で入部した播州赤穂えー


初代の浅野内匠頭長直候(1610~1672)が花岳寺を菩提寺として建立プンプン

本尊
釈迦如来



天井の大額 赤穂最大の画人法橋義信 「竹に虎」 代横額 細井光沢の書


めちゃ睨まれてて…
足が…竦む…ガーン


賓頭盧尊者
悪い所をナデナデするといいんよね爆笑
目が…ヤバい事にガーン
皆さん…目が悪いの?キョロキョロ


元禄赤穂事件についてえー
元禄14年3月14日(西暦1701年4月21日)に、江戸城中で播州赤穂藩主の浅野内匠頭長矩が高家旗本の吉良上野介義央に対して遺恨有りとして殿中刃傷に及ぶが、討ち漏らして切腹処分となったショボーン


その後、浅野の遺臣である大石内蔵助良雄以下赤穂浪士47名(四十七士)が翌15年12月14日(1703年1月30日)に吉良屋敷に討ち入り、主君に代わって吉良上野介を討ち果たし、その首を泉岳寺の主君の墓前に捧げたのち、幕命により切腹プンプン
(元禄赤穂事件とは)この一連の事件を指すんよねえー


この事件は一般に「忠臣蔵」の名でも知られているが、この名称は本件を題材とした人形浄瑠璃と歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』の通称、およびそこから派生したさまざまな作品群の総称であり、本件自体を指す語ではないとかキョロキョロ



鳴らずの鐘
1703年に46人の義士が自刃すると、悲しみの町民たちが花岳寺に集まり、鐘を激しくつき続け、その後音調を失いますショボーン


人々の強い悲しみや憤りが伝わってくる逸話えー

1797年に再改鋳
戦時中にも金属の供出を免れています照れ



二代目大石名残の松
初代の松は昭和二年(1927)に松枯れし現在は二代目プンプン


初代は元禄四年(1691)に相生村から移植、樹齢は310年の大木でしたえー


大石内蔵助が赤穂を去る時に名残りを惜しんだことが名の由来なんよウインク



坐禅堂
坐禅会や写経会をはじめ、茶道会や佛教セミナーなどを定例で開催してるんやって照れ



友愛供養塔(ペット供養塔)
友愛供養塔とは、三界万霊塔でありますが、とくにいわゆるペットのための供養塔をいいます。ここには「友愛観音」(金色立像)が安置されます照れ



雨情詩碑
春のあけぼの 花なら桜

武士の鑑ぢゃ 赤穂義士

この碑文は昭和 11年、野口雨情が ( 1882 ~ 1945 ) 民謡行脚の道すがら、4月 18日から 3日間赤穂に滞在し詩作した十節よりなる赤穂民謡の冒頭第一節えー



報恩堂
加里屋の曹洞宗花岳寺(片山一良住職)は、明治25年の千種川大水害で亡くなった人などを弔う「千躰観音像」と報恩堂の修復にこのほど着手プンプン


「赤穂市史」によると、明治25年7月23日、台風による大雨で千種川が決壊ショボーン


南野中村、尾崎村などで計89人が死亡する大惨事となったとかガーン


同寺の伝承では、千躰観音像は犠牲者の冥福を祈るために遺族たちが奉納えー


もともと報恩堂があった寺が廃寺となり、昭和35年に堂宇ごと花岳寺へ移されたとかえー
 

千躰観音は大小合わせて1018体あり、胴体部に金箔を貼っているびっくり


背面には赤字で奉納者の氏名えー


しかし、ここ数年、木像も建物も老朽化が目立ってきてますショボーン



千手堂 初代名残の松の幹
大石内蔵助が討ち入りで赤穂を去るときに、名残り惜しんだといわれる美しい松の樹えー



忠義塚
赤穂義士50回忌記念で建立されたものえー
亀趺付の立派な慰霊碑ですニヤリ



義士宝物館
花岳寺の義士宝物館には、50余点を展示しています照れ


例えば、大石内蔵助から花岳寺へ送られた暇乞状(いとまごいじょう)は、討入りの前日12月13日付けで、家来に届けさせたものえー


討入り直前までの動向をくわしく述べてありましたびっくり


事件そのままが伝わる品々に、驚かれるかもしれませんニヤリ



義士木像堂
義士木像堂には大石家の守り本尊「千手観音」を安置しています照れ


またこの観音像の前にお祀りしているお位牌は、浅野内匠頭長矩公のお位牌とかびっくり


千手観音は、一寸八分(約6cm)の大きさえー

大石内蔵助良雄は、吉良邸討入りの際にも、この千手観音を肌身につけていたんやってプンプン



北魏の観音像
中国からのものだそうですよキョロキョロ



子葉句碑
「こほるゝをゆるさせ給へ萩の露」の句が彫られていますえー


この句は、源五が浅野長矩の参勤に従って江戸から赤穂へ帰る道中の元禄10年7月20日、近江大津の義仲寺にある芭蕉の墓に詣でて詠んだもので、碑の文字は源五の自筆を臨書したものなんやって照れ



浅野家霊廟
赤穂藩浅野家の位牌が納められた霊廟照れ


森家ではなく浅野家なのが不思議でしたが、大正7年に浅野宗家が寄進したものとかえー


この霊廟脇に森家霊廟の役瓦が残されおり、森家の霊廟もあったようです照れ



あどけない顔の狛犬照れ


森家霊廟の役瓦ニヤリ



水琴窟
赤穂城明け渡しの6年前に、世継ぎ不在のため改易となった備中松山城の明け渡しに内蔵助が労をとりましたえー


その松山城のある備中高梁の頼久寺に、小堀遠州の手による水琴窟が今も残されているんです照れ



大石家先祖の墓
大石内蔵助の娘、祖父、祖母、父、
および義士のひとり大石瀬左衛門の父の墓えー

他に各義士らの家族の墓もありましたキョロキョロ



義士家族の墓

ずらりと並んでますニヤリ


森家の墓所
森家は織田信長の家臣森可成の系譜で、
朝倉攻めで可成は討死していますが、
その可成には6人の子がいましたえー


長男森可隆は父と共に初陣で討死し、
家督は次男森長可が相続ニヤリ


織田家の主な戦さに参陣して武勇を挙げ、
本能寺の変の後は羽柴秀吉に与していますえー


三男は森蘭丸として知られる信長の小姓で、四男森坊丸、五男森力丸と本能寺で討死ショボーン


長可も小谷長久手の戦いで討死し、残された六男森忠政が跡を継いでいますえー


関ヶ原の戦いでは東軍として戦っており、
川中島藩13万7000石を立藩ニヤリ

後に津山藩に加増転封となりましたえー

5代森衆利の発狂で改易されますが、4代森長継が2万石で再興しており、この2万石は長継の隠居料えー


次代森長直が赤穂藩に転封となって、
以後は廃藩置県まで赤穂藩を治めていますニコニコ



浅野家三代の墓
捐舘 華嶽院殿鋳山道牛大居士

真壁藩、笠間藩藩主浅野長重の墓


赤穂藩初代浅野長直が建立したものとかえー


浅野長政の三男浅野幸長が宗家を継ぎ、
長政は5万石を隠居料としていましたが、
その遺領を長重が相続して真壁藩を立藩ニヤリ
後に笠間に藩庁を移しましたえー

捐舘 久岳院殿前朝散太夫
 行少府僚湖山常清大居士 神儀
初代浅野長直の墓


父長重の跡を継いで笠間藩主となり、
駿府城代や大坂加番を務め、赤穂藩池田家の改易の際には、赤穂城の受け取りを担当えー


そのまま国替えで赤穂藩主となっていますニコニコ

捐舘 景永院殿前朝散大夫
 行釆女令心巌異即大居士 神儀
2代浅野長友の墓


長直の隠居によって家督を継ぎますが、
僅か4年の治世で早逝しており、跡は当時9歳であった長矩が継ぎましたニヤリ



中国大理石観音像

海外の観音様は女性なんですかねキョロキョロ


兵庫県赤穂市加里屋1992



近鉄新田辺駅とJR京田辺駅のちょうど真ん中あたりに位置するこのお店のえー
あまのじゃくさんに爆笑



とんこつ醤油チャーシュー 1250円 +ご飯 100円
チャーシューはかなり美味かったラブ
厚切りなのに箸でホロホロと崩れるほど柔らかく、甘辛い醤油の味付けでライトな豚骨にしっかり存在感がありましたニヤリ



甘めのクリーミーな豚骨ベースに、魚介風味のスープ照れ


キュッとしまった締めてくれる醤油と魚介と若干の辛味が後味に残るえー


細縮れ麺が程良くスープと絡んでくれて…

美味しかった照れ

新田辺駅から172m
京都府京田辺市田辺中央1-5-3